近衛文麿 1891年 – 1945年
日本の政治家。第34代、第38代、第39代内閣総理大臣。第二次世界大戦A級戦犯のひとり。
近衛文麿
後陽成天皇の12世孫にあたり、藤原忠通の子基実を始祖とする五摂家の一つ。江戸時代初期に嗣子を欠いたため、後陽成天皇の第四皇子が母方の叔父・信尹の養子となり信尋として近衛家を継いだ。
文麿はその直系十一世孫にあたり、その血統は当時は大勢いた皇族よりもずっと皇室に近かった。
政治家歴
第38-39代 内閣総理大臣
内閣 第2次近衛内閣
第3次近衛内閣
在任期間 1940年7月22日 – 1941年10月18日
天皇 昭和天皇
第34代 内閣総理大臣
内閣 第1次近衛内閣
在任期間 1937年6月4日 – 1939年1月5日
天皇 昭和天皇
第9代 貴族院議長
在任期間 1933年6月9日 – 1937年6月7日
天皇 昭和天皇
国務大臣
内閣 東久邇宮内閣
在任期間 1945年8月17日 – 1945年10月9日
天皇 昭和天皇
第13代 拓務大臣
第57代 外務大臣(兼任)
内閣 第1次近衛内閣
在任期間 1938年9月30日 – 1938年10月29日
天皇 昭和天皇
その他の職歴
第43代 司法大臣(兼任)
(1941年7月18日 – 1941年7月25日)
農林大臣臨時代理
(1940年7月22日 – 1940年7月24日)
第18代 枢密院議長
(1939年1月5日 – 1940年6月24日)
貴族院議員
(1916年10月11日 – 1945年12月16日)
概要
太平洋戦争中、昭和天皇に対して「近衛上奏文」を上奏するなど、戦争の早期終結を唱えた。
また、戦争末期には、独自の終戦工作も展開していた。
太平洋戦争終結後、東久邇宮内閣にて国務大臣として入閣した。
大日本帝国憲法改正に意欲を見せたものの、A級戦犯に指定され服毒自殺した。
近衛文麿が登場する作品
終戦のエンペラー ( Emperor ) あらすじと見どころ – 世界の歴史まっぷ