韓信 (?〜紀元前196年)
韓信は、若い頃は貧しく職もなく、人びとから施しを受けながら生活していた。秦末の反乱で項羽につくが、重用されないと、劉邦のもとへ行った。韓信の非凡な才を見ぬいた蕭何は、韓信を「国士無双」と評し、劉邦に厚遇を薦めた。大将軍の地位を得た韓信は、趙・魏・燕・斉を制圧し大出世したが妬みを買う。最後は政権を奪おうと開き直るが、謀略が未然に発覚し、蕭何に捕らえられて刑死した。兵家。
韓信
劉邦を支えた名軍師から転落の刑死
韓信は、貧しく職もなく、人びとから施しを受けながら生活していた。しかし志は高く、秦への反乱が起こると項羽につく。重用されないと、今度は劉邦につくため漢中へと移った。
韓信の非凡な才を見ぬいた蕭何は、韓信を「国士無双」と評し、劉邦に厚遇を薦めた。大将軍の地位を得た韓信は、劉邦に項羽の弱点や、北部から攻略する作戦を述べた。韓信は河を背にして戦う「背水の陣」によって「趙」を撃破し、続いて、「魏」「燕」「斉」を征圧。楚王に就いた。しかし異例の大出世に妬みも買った。計略にかけられ、劉邦と蕭何との仲をこじらせてしまう。政権を奪おうと開き直るも、謀略は未然に発覚し、捕らえられて刑死した。
韓信 の股くぐり
韓信が登場する作品
項羽と劉邦 King’s War
「項羽と劉邦 King’s War」紀元前231-紀元前196年。准陰(江蘇省淮安市)の人。前漢建国の功臣であり、中国歴史上傑出した軍事家で、蕭何・張良とともに漢の三傑とされる。その戦功のため斉王、楚王の位についたが、後に准陰候に落とされる。漢王朝天下統一に輝かしい戦功を立てたが、後に高祖(劉邦)に疑われて最後は謀叛罪で処刑される。韓信は中国軍事思想における「謀戦」派の代表的人物であり、「※国士無双」と呼ばれている。
※国士無双=国中で比べる者がないほど優秀な人物のこと。
韓信役: ドアン・イーホン