騎士修道会
12世紀に第1次十字軍が占領した聖地イェルサレムを守備するために、修道士となった騎士の集団としてテンプル騎士団が創設されたことをはじまりとして、主に聖地イェルサレムの防衛とキリスト教巡礼者の保護・支援を目的として創設された中世のローマ・カトリックの修道会のことである。あくまで修道会の一形態であり、その成員の公的身分は修道誓願を立てた修道士であって騎士ではない。後にはイベリア半島と東ヨーロッパでも異教徒との戦いのために活動し、イェルサレムが失われ十字軍運動が失敗すると、騎士修道会の存在意義も薄れていった。
騎士修道会
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ中世世界の変容
初期の十字軍
十字軍に際し、騎士以上の階層から募集され、教皇の許可を得て設立された修道会。
騎士と修道士の双方の性格を兼ね備え、主としてキリスト教徒巡礼者の保護、傷病者の看護、聖地の警備などにあたった。
教皇に直属したが、国王や諸侯からも保護され、各種の特権や領地の寄進を得て大きな勢力となった。
最盛期にはその数は100を越し、数万人の会員を数えたと言われる。なかでもパレスチナに建設された聖ヨハネ騎士団(1113)、テンプル騎士団(1119)、ドイツ騎士団(1198)は三大宗教騎士団として有名である。
聖地陥落後、聖ヨハネ騎士団はキプロス島からロードス島に、テンプル騎士団はキプロス島からフランスにそれぞれ本拠を移し、商業・金融活動などで活躍したがしだいに本来の目的を失った。
またドイツ騎士団は聖地ではあまり活動せず、むしろキリスト教の伝道と農業開発を目的にプロイセンに入植(1230〜1283)、ドイツ本土からの多数の農民や市民の移住を受け入れて発展した。
しかし、15世紀初頭ポーランド・リトアニア連合軍に敗れ衰退した。
三大宗教騎士団
- 聖ヨハネ騎士団(1113)
最初の本部:イェルサレム神殿 - テンプル騎士団(1119〜1312)
最初の本部:アル=アクサー・モスク - ドイツ騎士団(1198)
本部:バート・メルゲントハイムのドイツ騎士団城(1526〜1809)