里甲制 魚鱗図冊
魚鱗図冊 土地の図形が魚の鱗に見えることからこの名がある。Source 高中历史

魚鱗図冊


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魚鱗図冊ぎょりんずさつ
宋代以降、一部の地域で作成されていた土地台帳で、明初になって各地で作成された。一区画ごとに土地の所有者や税の負担が記入されているが、その形が魚の鱗に似ていることから、この名がつけられた。

魚鱗図冊

アジア諸地域の繁栄

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明初の政治
洪武帝は民衆に対して、国家の財政基盤を確保する必要から、全国規模の人口調査を実施し、それにもとづき村落を県の末端行政組織とするための里甲制りこうせいを導入した。さらに農民と土地を把握して租税を徴収するために、租税台帳である賦役黄冊ふえきこうさつや土地台帳の魚鱗図冊ぎょりんずさつを作成させ、里甲を通じて税を徴収した。また里内の人望ある長老を「里老人りろうじん」とし、彼を通して儒教主義による民衆教化を行うため、6ヶ条からなる教訓(六諭りくゆ)を交付して民衆の教化に努めた。
明の政治の仕組み図
明の政治の仕組み図 ©世界の歴史まっぷ
里甲制

里甲制りこうせいは、明を立てた朱元璋が実施した、村落の自治組織。110戸を1里とし、その中で経済的にも裕福な富戸10戸を選んで里長戸とし、残りの100戸をさらに10の甲(1甲10戸)に分け、各甲の中から甲首戸1名を置いた。里長戸と甲首戸は毎年輪番で選ばれる仕組みになっており(10年で一巡)、里甲内部の徴税や治安維持に当たった。

賦役黄冊と魚鱗図冊

賦役黄冊ふえきこうさつは、里甲制を実施するにあたり作成された戸籍簿であると同時に、租税を徴収するための基本台帳も兼ねた。10年ごとに各里の里長、甲首が作成し、州・県・府・布政使をへて戸部に提出された。黄冊とは、黄色の紙を使用したためにそう呼ばれる。

魚鱗図冊ぎょりんずさつは、宋代以降、一部の地域で作成されていた土地台帳で、明初になって各地で作成された。一区画ごとに土地の所有者や税の負担が記入されているが、その形が魚の鱗に似ていることから、この名がつけられた。

六諭

六諭りくゆは、洪武帝が1397年に定めた、「父母に孝順なれ、長上を尊敬せよ、郷里に和睦せよ、子孫を教訓せよ、おのおの生理(職業)に安んぜよ、非為をなすなかれ」の6カ条の教訓。これを里ごとに、毎月6回、里老人が巡回し唱えた。日本の明治時代に制定された「教育勅語」は、これを参考としていると言われる。

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