バビロン捕囚 the Exile B.C.586〜B.C.538
新バビロニアのネブカドネザル2世がユダ王国を滅ぼし、3度にわたって住民をバビロンに連行した事件。ユダ王国がエジプトと結んで新バビロニアに対抗しようとしたことが原因とされる。新バビロニアはその後アケメネス朝に滅ぼされ、ユダヤ人は解放され帰国した。彼らはイェルサレムに神殿を再興してユダヤ教を成立させた。
バビロン捕囚
新バビロニアのネブカドネザル2世がユダ王国を滅ぼし、3度にわたって住民をバビロンに連行した事件。ユダ王国がエジプトと結んで新バビロニアに対抗しようとしたことが原因とされる。新バビロニアはその後アケメネス朝に滅ぼされ、ユダヤ人は解放され帰国した。彼らはイェルサレムに神殿を再興してユダヤ教を成立させた。
オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
ヘブライ人とユダヤ教
王国時代には周辺民族の多神教の影響をうけて、預言者たちに厳しく批判されたが、亡国とバビロン捕囚という民族的苦境のなかで、かえってヤハウェへの信仰は強まり、やがて神と契約しているユダヤ人だけが救済されるという排他的な選民思想や、この救済を実現する救世主(メシア)の到来を待望する信仰が生まれた。
アッシリアは多くのイスラエル人を北シリアやアッシリア本国へ強制移住させたあとに、よその住民をイスラエルに移した。新移住者は残っていたヘブライ人とやがて混血し、本来のヘブライ人とは異質の宗教・文化をもつサマリア人と呼ばれる民族になった。それに対しユダ族を中心とする人々は、バビロン捕囚中も帰国後も、民族的伝統を失わなかった。ここからその後のヘブライ人を「ユダヤ人」、宗教を「ユダヤ教」と呼ぶ習わしがおこった。