ヘンリー4世(イングランド王)
ヘンリー4世 (ナショナルポートレートギャラリー) ©Public domain

ヘンリー4世(イングランド王)


リチャード2世(イングランド王)

ヘンリー5世(イングランド王)

ヘンリー4世(イングランド王) A.D.1367〜A.D.1413

ランカスター朝初代イングランド国王(在位1399〜1413)。国内最大の領主ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの子。 1399年ランカスター家の財産を没収したリチャード2世(イングランド王)に対抗、議会の承認を得て王の廃位を宣言、即位してランカスター朝をひらく。

ヘンリー4世(イングランド王)

年表

  • 1366年 エドワード3世の第3子ジョン・オブ・ゴーントと初代ランカスター公ヘンリー・オブ・グロスモントの次女ブランシュの長男として生まれる。
  • 1380年 第7代ヘレフォード伯ハンフリー・ド・ブーンの次女メアリーと結婚。
  • 1388年 リチャード2世(イングランド王)(エドワード3世の長男エドワード黒太子の子)と対立し、グロスター公らと共に訴追派貴族のメンバーに加わり、無慈悲議会で国王の側近追放に参加。
  • 1390年-1392年 ドイツ騎士団のリトアニア遠征に参加。
  • 1397年 リチャード2世(イングランド王)がグロスター公ら訴追派貴族を追放・処刑。ヘンリー4世(イングランド王)は例外としてヘレフォード公に叙される。
  • 1398年 ヘンリー4世(イングランド王)はノーフォーク公トマス・モウブレーと争い、共にリチャード2世から国外追放処分を受ける。
  • 1399年 父・ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント死去。リチャード2世(イングランド王)に相続権およびランカスター公領を没収される。
    リチャード2世がアイルランド遠征でイングランドを空けた隙に、追放されていたヘンリー4世はイングランドに戻り、ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー・ホットスパー父子とウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルら北部貴族の協力を得て帰還途中のリチャード2世をウェールズとの国境付近で捕らえ、ロンドン塔に幽閉する。
    リチャード2世の廃位し、ヘンリー4世としてイングランド王に即位し、ランカスター朝を開く。
  • 1403年 ブルターニュ公ジャン4世の未亡人ジョーン・オブ・ナヴァールと再婚。フランス北西部のブルターニュ進出を狙うが失敗。
  • 1406年 スコットランド王ロバート3世の嗣子ジェームズ(後のジェームズ1世)を捕らえ、人質とする。

埋葬

ヘンリー4世とジョーン王妃-カンタベリー大聖堂
ヘンリー4世とジョーン王妃-カンタベリー大聖堂 ©Adrian Fletcher travels Renaissance
1413年3月20日、リトアニア遠征の時にかかった伝染性疾患のため、ウェストミンスター・アベイで死去した。最期の状況は、ヘンリー4世が寺院内のエドワード懺悔王の礼拝堂で祈っていた所、発作に襲われそのまま亡くなったとされ、そこに飾ってあったリチャード2世の肖像画に見つめられていたといわれる。遺言によりカンタベリー大聖堂へ埋葬され、王太子がヘンリー5世として即位した。

参考 Wikipedia

系図

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ヘンリー4世(イングランド王)
ヘンリー4世系図 ©世界の歴史まっぷ

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ヘンリー4世としてイングランド王に即位したヘンリー・ボリングブルック ©2012 Carnival Film & Television Limited. ALL RIGHTS RESERVED. | NBCユニバーサル

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