ミケーネ文明 黄金のマスク
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ミケーネ文明


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ミケーネ文明 Mykenai 前1600〜前1200年頃

南下したアカイア人がペロポネソス半島に築いた文明。王は官僚制によって農民から貢納を取り立て、巨石城塞を中心とした諸国が分立・抗争した。その滅亡については、ドーリア人の侵入説・「海の民」の攻撃説・気候変動説など諸説ある。前12世紀は東地中海全域が混乱した時代であった。

ミケーネ文明

前1600〜前1200年頃、南下したアカイア人がペロポネソス半島に築いた文明。王は官僚制によって農民から貢納を取り立て、巨石城塞を中心とした諸国が分立・抗争した。その滅亡については、ドーリア人の侵入説・「海の民」の攻撃説・気候変動説など諸説ある。前12世紀は東地中海全域が混乱した時代であった。

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オリエントと地中海世界 ミケーネ文明
オリエントと地中海世界 ©世界の歴史まっぷ

全盛期 B.C.1450頃~B.C.1200年頃
政治 小国分立
民族 ギリシア系民族アカイア人
文字 線文字B
中心地 ミケーネ・ティリンス
美術 獅子の門 黄金のマスク
滅亡 不明

概要

紀元前2000年の少し前ころ、インド=ヨーロッパ語系民族がバルカン半島や小アジアに侵入してきた。彼らがギリシア人の祖先であり、その一部のアカイア人がミケーネなどに王国をつくった。
彼らは丘陵きゅうりょうに石造りの堅固けんごな王の城塞をきずいた。また小アジアに侵入したギリシア人は、クレタ文明の一角をなしていたトロイアをも占領した。
やがてミケーネ人たちはクレタに進出し、その文明に触れて線文字Bをつくった。しかし結局ミケーネ人はクレタ文明を滅ぼし、以後250年間ギリシア本土のミケーネティリンスピュロス・オルコメノスなどの王国が繁栄した(アテネもこの時代に小王国をつくり、ミケーネ文明の担い手になっていた。)。代表的な王国の名をとって、これをミケーネ文明と呼ぶ。

ミケーネの巨大な王墓からは陶器、武器、青銅器、それに王の仮面などおびただしい黄金製品が発見され、王国がきわめて豊かで繁栄していたこと、地中海の東西の広い地域と交易していたことがわかった。それだけではなく、宝石類の中にはバルト海沿岸で産する琥珀がたくさんあり、また青銅器をつくるためにはブリテン島のすずを購入したと思われる。紀元前2000年紀のヨーロッパには、このような物資を中心に取り引きする交易路が開けていたのである。

ピュロスの線文字B文書からは、王が巨大な権力を持って支配下の村落に役人を派遣して農民に貢納こうのうをおこなわせていたことがわかる。
王宮は戦死である貴族、王の従士たちが居住していた。奴隷もほとんどは王の所有であった。
ミケーネの諸王国はオリエントに比べて領域はずっと小さく、最も強力であったと思われるミケーネも他の王国を統合するにはいたらなかった。しかし各王国には強力な王とこれに隷属的な農民がおり、オリエント的な小専制王国とも呼ぶべきもので、このような社会がポリスの生まれるまえのギリシアに現れていたことが注目されるのである(ピュロス王国の村落の農民は、わずかながら自分たちの私有地をもっていたことが明らかである。彼らはまだ王とその直轄下の村落共同体に縛られてはいたが、のちのポリス市民のさきがけをなす人々であったといえるかもしれない)。

ミケーネ諸王国は紀元前1300年ころから衰退の兆しをみせはじめ、また城壁を強化するなど、外部からの攻撃におびえるようになったらしい。しかし彼らは、紀元前1260年から紀元前1250年ころ総力をあげて小アジアに遠征しトロイアを滅ぼした。
この戦争はエーゲ海と黒海を結ぶ交易路をめぐる争いであったと推定されている。その後まもない紀元前1200年から紀元前1100年にかけて、アテネなどを例外として王宮は炎上し、諸王国は次々と滅んでいき、ミケーネ文明は消滅した。彼らを滅ぼしたのは、この時代に遅れて南下してきたギリシア人の一派ドーリア人たちだと考えられている。しかし最近ではこのほかに、王国内部の反乱や、ちょうどこのころ東地中海に現れてヒッタイトを滅ぼし、エジプトなどを攻撃した「海の民」がミケーネをも滅ぼしたのではないかとする説も出されている。

B.C.1400頃 ミケーネ文明の地図

ミケーネ文明地図 エーゲ文明
ミケーネ文明地図 ©世界の歴史まっぷ

参考資料

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文化

線文字B文書

オリエントと地中海
線文字B文書(ミケーネ人がクレタ人にならって作った表音文字で、古いギリシア語を表す。粘土板に刻まれ王宮への貢物などを記録している) Source: Wikipedia

イギリスの建築家ヴェントリスは1952年、未解読であった線文字Bにギリシア語の音価をあてはめて解読に成功し、初めてミケーネ人が古いギリシア語を用いるギリシア人であったことを明らかにした。線文字は粘土板に刻まれて王宮の倉庫から多数発見されたが、これらはミケーネ文明滅亡時に王宮が焼け、粘土板が硬化したために保存され発見されたものである。ミケーネ人は主として王の財産や、王への貢納物を記録しているが、文書は1年毎に破棄されるものであったらしい。したがって現在われわれのもっている文書は王国滅亡の年の記録が大部分である。

フレスコ画

チャリオット(戦闘用馬車)に乗った戦士、女性騎兵

ミケーネ文明
戦士と戦車-出:ピロス-B.C.1350(右)Source: Wikipedia, 女性騎兵-出:ティリンス-B.C.1200(左)Wikipedia

獅子の門

紀元前13世紀の要塞の正面玄関前

ミケーネ文明
獅子の門 Source: Wikipedia

戦士花瓶

Large Krater, Men in Armor, Mycenaean Pictorial style, from House of the Warrior Vase, Mycenae acropolis, 12th century BC.

ミケーネ文明
戦士花瓶 ©Sharon Mollerus | Flickr
ミケーネ文明
Fragment of Krater with two-horse chariot and two riders, Painter of the Shield-Bearers, Tiryns workshop, late 13th-early 12th centuries BC © Sharon Mollerus | Flickr

ミケーネ陶器

ミケーネ陶器-出:Argolid
ミケーネ陶器-出:Argolid Source: Wikipedia
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