ヨーロッパ主権国家体制の展開
清教徒革命(三王国戦争)チャールズ1世(イングランド王)(ロイヤルコレクション蔵)©Public Domain

ヨーロッパ主権国家体制の展開

15〜18世紀のヨーロッパでは、封建的領主層の没落、超国家的権威としての教皇権の衰退、イタリア戦争などにみられる諸国家間の覇権争いなどをつうじて、各国の国内の一元的支配が強められ、内外に対する絶対的権力としての主権国家が形成された。権力はまず王に集中し、その絶対的権力は王権神授説で正当化された。こうした体制を絶対王政と呼ぶ。

ヨーロッパ主権国家体制の展開

15〜18世紀のヨーロッパでは、封建的領主層の没落、超国家的権威としての教皇権の衰退、イタリア戦争などにみられる諸国家間の覇権争いなどをつうじて、各国の国内の一元的支配が強められ、内外に対する絶対的権力としての主権国家が形成された。権力はまず王に集中し、その絶対的権力は王権神授説で正当化された。こうした体制を絶対王政と呼ぶ。王朝による領土拡大、富の獲得をめぐる競争は、王朝的対立からさらに主権国家の間の複雑な国際関係、国際政治の世界を形づくっていくことになる。

イベリア半島でレコンキスタ運動をつうじて絶対王政国家を形成したポルトガル・スペインが新航路開拓による貿易独占、植民地経営で栄えた。特にハプスブルク朝スペインは、16世紀にヨーロッパ・アメリカ大陸・アジアにまたがる大帝国をつくったが、やがて新勢力の前に没落を余儀なくされた。このスペインからの独立を達成したオランダは、その海軍力を強化し、17世紀前半には東アジア貿易における海上支配権を獲得した。テューダー朝のもとで絶対王政を確立したイギリスも、スペインに挑戦した。無敵艦隊撃破はイギリスの海上覇権獲得の第一歩であった。

17世紀前半は、「ヨーロッパの全般的危機」のもとで、スペインの衰退、ピューリタン革命名誉革命とつづくイギリスの内乱と混乱、宗教戦争後ブルボン朝のもとで絶対王政を固めつつあったフランスのフロンドの乱、ドイツにおける三十年戦争など動揺が続いた。しかし、17世紀後半フランスではルイ14世(フランス王)のもとで強力な絶対王政が出現した。イギリスでは名誉革命をへて、議会政治が確立された。三十年戦争が集結したドイツでは、プロイセン、オーストリアが絶対王政国家として力をのばしつつあった。18世紀にはロマノフ朝ロシアがこれに続いた。一方、絶対王政のもとでバロックロココなど華やかな宮廷文化・貴族文化が形成され、学問でも近代ヨーロッパの思想・科学の基礎が確立した。

絶対王政下の諸国家は、ヨーロッパで領土拡大をめぐって対立すると同時に、アメリカ大陸・アジアの植民地獲得をめぐっても激しい抗争をくりかえした。17世紀中期のオランダ・イギリス戦争、ルイ14世の侵略戦争と並行して展開された17〜18世紀のイギリス・フランスの植民地抗争(英仏植民地戦争)などである。植民地抗争では、最終的にはイギリスが覇権を握ることになった。

略年表

ヨーロッパ主権国家体制の展開

1562ユグノー戦争(〜98)
1571レパントの海戦
1572サン・バルテルミの虐殺
1580スペイン、ポルトガルを併合
1581オランダ独立宣言
1588イギリス、スペイン無敵艦隊を撃破(アルマダの海戦
1589フランス、アンリ4世(フランス王)即位(〜1610)ブルボン朝
1598フランス、ナントの王令ユグノー戦争終結
1603イギリス、シュチュアート朝(〜1714)
1607イギリス、ヴァージニア植民地設立
1613ロシア、ロマノフ朝成立(〜1917)
1618ドイツ三十年戦争(〜48)
1620メイフラワー号、プリマス着
1628イギリス、権利の請願
1640イギリス、ピューリタン革命開始(〜49)
1643フランス、ルイ14世即位(〜1715)
1648ウェストファリア条約
1649イギリス、チャールズ1世処刑、共和制となる(〜60)
1651イギリス、航海法
1652イギリス・オランダ戦争(〜74)
1653イギリス、クロムウェル、護国卿となる
1660イギリス、王政復古
1682ロシア、ピョートル1世即位(〜1725)
1688イギリス、名誉革命
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