フランスにおける絶対王政の成立
1560年頃のレスコ翼西側ファサード。建築家アンリ・ ルグランが古文書から書き起こした立体図(1868)

フランスにおける絶対王政の成立

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フランスにおける絶対王政の成立

長期の猖獗しょうけつをきわめた宗教戦争で、分裂し荒廃しきったフランスの再建がアンリ4世(フランス王)の課題であった。プロテスタントにカトリックとの共存の道が開かれ、財務官マクシミリアン・ド・ベテュヌを登用して、財政改革と農業保護に当たらせた。

フランスにおける絶対王政の成立

長期の猖獗しょうけつをきわめた宗教戦争で、分裂し荒廃しきったフランスの再建がアンリ4世(フランス王)の課題であった。ナントの王令は、カトリックの優位を認めたうえで、プロテスタントをも保護しようという妥協的なものであった。宗教改革が、この国ではついにこのような妥協的なかたちしかとりえなかったのは、かねてフランスのカトリック教会がローマ教皇からは独立的な傾向を持っていた(「ガリカニズム」という)ため、世俗利害との結びつきが強く、批判勢力としてのプロテスタンティズムがある程度以上は強くならなかったからである。

とはいえ、この結果、1685年に同王令が廃止されるまで、それまで異端として退けられたいたプロテスタントにカトリックとの共存の道が開かれることになり、フランスは国民の統合と経済再建にむかって歩みはじめる。中小貴族を官吏や軍人として積極的に登用して、大貴族による干渉を抑えたアンリ4世は、地方にも監察官を派遣して、中央集権化をはかった。またマクシミリアン・ド・ベテュヌ(1559〜1641)を財務官に起用して、財政改革と農業保護に当たらせた。

略年表

ヨーロッパ主権国家体制の展開

  
1562ユグノー戦争(〜98)
1571レパントの海戦
1572サン・バルテルミの虐殺
1580スペイン、ポルトガルを併合
1581オランダ独立宣言
1588イギリス、スペイン無敵艦隊を撃破(アルマダの海戦
1589フランス、アンリ4世(フランス王)即位(〜1610)ブルボン朝
1598フランス、ナントの王令、ユグノー戦争終結
1603イギリス、シュチュアート朝(〜1714)
1607イギリス、ヴァージニア植民地設立
1613ロシア、ロマノフ朝成立(〜1917)
1618ドイツ三十年戦争(〜48)
1620メイフラワー号、プリマス着
1628イギリス、権利の請願
1640イギリス、ピューリタン革命開始(〜49)
1643フランス、ルイ14世即位(〜1715)
1648ウェストファリア条約
1649イギリス、チャールズ1世処刑、共和制となる(〜60)
1651イギリス、航海法
1652イギリス・オランダ戦争(〜74)
1653イギリス、クロムウェル、護国卿となる
1660イギリス、王政復古
1682ロシア、ピョートル1世即位(〜1725)
1688イギリス、名誉革命
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