主権国家体制 絶対王政の経済・社会政策 絶対王政とは 主権国家 主権国家と絶対王政のしくみ図
主権国家と絶対王政のしくみ図 ©世界の歴史まっぷ

絶対王政の経済・社会政策

官僚制と常備軍を権力の基盤とした絶対王政を維持するための膨大な資金の確保のため、各国は鉱山の開発に努め、きそって輸出促進と輸入抑制、自国海運業保護の政策をとって貿易収支を黒字にしようとした。絶対王政が採用した経済政策や社会政策は、重商主義とび、その根底には、金・銀こそが富であり、これを蓄えることが経済発展の鍵だとする。貴金属や商品作物の供給源と市場を確保するため、ヨーロッパ以外の土地に植民地を求め、世界商業の覇権を争った。16世紀から18世紀にかけて、植民地を舞台とする多くの戦争がヨーロッパ各国の間で戦われたのも、主としてこのためであった。

絶対王政の経済・社会政策

絶対王政の採用した経済・社会政策は、一般に重商主義と呼ばれている。官僚制と常備軍を権力の基盤とした絶対王政を維持するには、膨大な資金を必要としたから、財源の確保がその重要な課題となった。そのために採用された経済政策や社会政策が、重商主義である。その根底には、金・銀こそが富であり、これを蓄えることが経済発展の鍵だとする。今日とはかなり違った考え方(重金主義という)があった。金・銀を確保するために、各国は鉱山の開発に努めたほか、きそって輸出促進と輸入抑制、自国海運業保護の政策をとって貿易収支を黒字にしようとした(貿易差額主義)。

こうした政策は絶対王政崩壊後にもひきつがれ、産業革命期まで続く。それらは、結果的には国内産業を保護する役割をも果たした。重商主義は、資本主義という経済体制の誕生を早める政策であったとする見方があるのは、このためである。

輸出を促進するには、国内の生産コストを下げる必要があり、賃金の規制さえなされるようになった。さらに、フランスのジャン=バティスト・コルベールのように、直接、輸出工業の育成に努めたり、輸入品の国産化をはかったりもした。

主権国家と絶対王政のしくみ図
主権国家と絶対王政のしくみ図 ©世界の歴史まっぷ

さらに各国は、貴金属や商品作物の供給源と市場を確保するために、ヨーロッパ以外の土地に植民地を求め、世界商業の覇権を争った。16世紀から18世紀にかけて、植民地を舞台とする多くの戦争(重商主義戦争)がヨーロッパ各国の間で戦われたのも、主としてこのためであった。

絶対王政はまた、治安を維持するために多くの社会政策を採用し、人々の生活に介入した。すなわち、食料品の価格を安定させるために穀物やパンの価格を規制したり、失業者の増加を恐れて、賃金や労働時間など雇用の形態についても細かい規定を設け、救貧のシステムを定めたりもした。エリザベス1世(イングランド女王)時代のイギリスで制定された救貧法はその典型である。このような点から、絶対王政がのちの福祉国家の先駆であるとする見方もある。また、こうした政策は、一面では資本主義の発展を促進したが、それを阻害する側面をももっていた。

救貧法:各教区で救貧委員を決め、救貧税を集めて病気や高齢の貧民を救済する一方、労働可能な貧民には強制的に仕事をさせ、浮浪者は犯罪人として取り締まることにした。この救貧法は、以後少しずつ修正されながら1834年まで続けられた。経済的理由による失業者をも「怠け者」として処罰した。

略年表

ヨーロッパ主権国家体制の展開

  
1562ユグノー戦争(〜98)
1571レパントの海戦
1572サン・バルテルミの虐殺
1580スペイン、ポルトガルを併合
1581オランダ独立宣言
1588イギリス、スペイン無敵艦隊を撃破(アルマダの海戦
1589フランス、アンリ4世(フランス王)即位(〜1610)ブルボン朝
1598フランス、ナントの王令、ユグノー戦争終結
1603イギリス、シュチュアート朝(〜1714)
1607イギリス、ヴァージニア植民地設立
1613ロシア、ロマノフ朝成立(〜1917)
1618ドイツ三十年戦争(〜48)
1620メイフラワー号、プリマス着
1628イギリス、権利の請願
1640イギリス、ピューリタン革命開始(〜49)
1643フランス、ルイ14世即位(〜1715)
1648ウェストファリア条約
1649イギリス、チャールズ1世処刑、共和制となる(〜60)
1651イギリス、航海法
1652イギリス・オランダ戦争(〜74)
1653イギリス、クロムウェル、護国卿となる
1660イギリス、王政復古
1682ロシア、ピョートル1世即位(〜1725)
1688イギリス、名誉革命

参考

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