大陸文化の受容
大陸文化の受容
1 渡来人による諸技術の伝播
- ヤマト政権は、渡来人を技術者集団として組織化
●●●(上質鉄器制作)、陶作部(上質陶器制作)、錦織部(機織り)、鞍作部(馬具制作)など - 代表的渡来人(「記紀」の説話から)
- ①●●●:秦氏の祖、養蚕・機織りを伝える(山城国太秦周辺に居住)
- ②●●●:東漢氏の祖
- ③王仁:●●●の祖
②と③はヤマト政権の記録や文書作成などに従事
2 大陸文化の伝来
- 儒教:●●●が『論語』を献上、6世紀初頭に百済から五経博士が来日して五経を講じ、儒教を伝える
- 漢字:王仁が「千字文」(識字・習字のテキスト)を伝える 漢字の音を借りて人名や地名などを表記 ヤマト政権の記録 史部などが担当
「帝紀」(天皇の系譜)、「旧辞」(朝廷の伝承)の作成 「記紀」のもと- 使用例
埼玉県●●●古墳出土の鉄剣銘
奈良県●●●七支刀(百済王が倭王に贈呈との説)
和歌山県隅田八幡神社人物画像鏡
- 使用例
- 仏教:百済の●●●が●●●天皇に仏像・経論などを贈る(仏教公伝)
- ①公伝年
- 538年(戊午)説:『●●●』・『元興寺縁起』
- 552年(壬申)説:『日本書紀』
- ②仏教需要めぐり対立(崇仏論争) 崇仏派の蘇我氏が勝利
- 崇仏派:●●●
- 廃仏派:●●●
- ③私的伝来としては、『扶桑略記』に司馬達等(鞍作鳥の祖父との説)が継体朝(522年ごろ)に来日し、飛鳥の地で仏像を礼拝したとの記述
- ①公伝年
史料チェック: 仏教の伝来
「志癸嶋天皇(●●●天皇)の御世戊午(●●●)年十月十二日、百済国主の明王、初めて仏像経教ならびに僧等を渡し奉る。勅して●●●宿禰の大臣に授けて興隆せしむる也。」(資料名:『●●●』)