イングランド・フランス二重王国
百年戦争中のシャルル7世(フランス王)・勝利王(在位:1422年10月21日〜1461年7月22日)とヘンリー6世(イングランド王)(在位:1422年8月31日〜1461年5月4日、1470年10月30日〜1471年4月11日)がフランスの王位の継承を巡って抗争していた時期に存在していた王国。
トロワ条約により、シャルル6世(フランス王)の死去した1422年10月21日から、1453年7月17日のカスティヨンの戦いでフランスが百年戦争の最終的な勝利を収めた日まで。
イングランド・フランス二重王国
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トロワ条約
フランス・ヴァロワ朝第4代王・シャルル6世(親愛王・狂気王)とヘンリー5世(イングランド王)間で、1420年5月21日に調印したトロワ条約。フランス王位を継承するはずであった正当なる嫡子、王太子シャルル(後のシャルル7世)を除外し、娘婿であるヘンリー5世(イングランド王)とその子孫にフランス王位を与えることを取り決めた。
用語 トロワ条約
ヘンリー6世(イングランド王) 即位
- 1422年8月31日、ヘンリー5世(イングランド王)死去。ヘンリー6世(イングランド王)は生後9ヶ月でイングランド王位を継ぐ。
- 1422年10月21日、シャルル6世(フランス王)死去。ヘンリー6世(イングランド王)は生後11ヶ月でフランス王位を継ぐ。
- ヘンリー6世は、イングランドとフランス、両国王となるが、イングランドとブルゴーニュ公国(1435年まで)のみがヘンリー6世をフランス王・アンリ2世として認めた。
- フランス王としてのヘンリー6世のデ・ジュリの主権と正当性は、イングランド及び自らのフランス統治議会下での同盟・ないしは支配下にあるフランスの領域のみから認められた。
王太子・シャルル
ブールジュに逃亡した王太子・シャルル(後のシャルル7世(フランス王)・勝利王)がフランス王として支配しているところはロワール一帯の南部のみだった。
ジャンヌ・ダルク
王太子・シャルルは、自らの使命をイングランドからフランスを解放し、かつ王太子をランスで戴冠させるのを信じるジャンヌ・ダルクの支援によって1429年7月19日にランスにて戴冠しシャルル7世(フランス王)となった。
1435年にローマ教皇の使節によってヘンリー6世(イングランド王)への義理立てから解放されたブルゴーニュ公・フィリップ善良公はシャルル7世を正統なるフランス王と見做した。
この有力なフランス貴族の裏切りによって、ヘンリー6世のフランス統治は事実上終わりに達した。
百年戦争を終結させることになった1453年7月17日のカスティヨンの戦いでフランスが最終的な勝利を収めたことで、二重王国状態に終止符が打たれた。イングランドはカレーを除くフランス領の全てを喪失した。
1453年までにシャルル7世は唯一のフランス王となった。