内陸アジア
アジア大陸の中央部にあって、東北にはゴビ砂漠の北の外モンゴルと、中国の万里の長城にいたる内モンゴルが展開し、さらにトルキスタンからカスピ海西部にかけて広がる大乾燥地帯におよぶ。そして南はヒンドゥークシュ山脈、カラコルム山脈、ヒマラヤ山脈などによって海洋から遠く隔てられ、北は寒冷なシベリアの森林地帯(タイガ)につながる。東は大興安嶺やヤブロノイ山脈に接し、西はウラル山脈やカフカス(コーカサス)山脈などに接する。内陸アジアは、砂漠や草原あるいは密林におおわれた乾燥地域であり、寒暑の差が非常に激しい。
内陸アジア
内陸アジア世界の変遷
内陸アジアの景観を大きく区分すると、森林地帯、草原地帯、オアシス地帯に分けることができる。したがって、それぞれに居住する人々の生活には、それぞれ固有の特色がある。
- 森林地帯:半猟・半牧の生活
- 草原地帯:遊牧・狩猟の生活
- オアシス地帯:家畜と農耕生活、 中継貿易
内陸アジアに居住する民族のうち、オアシス民を脅かし、農耕社会に侵入したのは草原の 遊牧民であった。彼らは、はじめ多くの家畜を移動させ、しかも一定の季節的サイクルで、一定の地域を動く平和な生活を送っていた。しかし、やがてスキタイの騎馬文化を受け入れてから、紀元前4世紀ころ機動力と戦闘力を強め、 騎馬遊牧民として活躍を始めた。彼らは中継貿易にも従事して利益を占めたほか、しばしば農耕地帯に侵入して、農耕民やオアシス民と闘った。
西方で活躍したサルマタイや、東方で豪盛を誇った匈奴は、初期の代表例であり、匈奴に追われて西方に移住した月氏や、エフタル、ウイグル、キスギスもその例である。
オアシス地帯では、東西の交易が行われ、オアシスの道(絹の道、シルク・ロード)が生まれた。交易の中心となったのは、イラン系ソグド人であったが、周辺民族の干渉も盛んであった。このため、6世紀には突厥の支配がおよび、9世紀にウイグル人の移住が進んでからは、トルコ系の要素が強くなり、 トルキスタンと呼ばれるようになった。またこのころからイスラーム化も一段と進んだ。
13世紀初め、モンゴル高原に現れたチンギス=ハンは、近隣の諸民族をつぎぐつぎと征服し、彼とその子孫は短期間のうちに モンゴル帝国と呼ばれる空前の大帝国をきずいた。中国でも、華北を支配する金朝や江南の南宋が滅ぼされ、13世紀後半には 元朝が成立した。元は中国の諸制度を導入し、征服王朝として君臨した。モンゴル帝国の成立はユーラシア大陸の大部分の統一をもたらし、駅伝制の整備やムスリム商人の活躍により内陸の隊商貿易が盛んになった。また宋代に続いてインド洋経由の海上貿易も活発になり、この2つのルートの接点として元には東西の文物が流入し、都の大都は繁栄を極めた。