四天王寺
四天王寺中心伽藍 Source Wikipedia

四天王寺


四天王寺
大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。本尊は救世観音菩薩くせかんのんぼさつである。「金光明四天王大護国寺こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら」ともいう。
『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。
宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。

参考 Wikipedia

四天王寺

律令国家の形成

飛鳥文化

推古朝を中心とする時代の文化を、当時の宮の所在地を冠して飛鳥文化と呼んでいる。
飛鳥文化の特色は、当初は渡来人や蘇我氏など限られた人々によって信仰されていた仏教が、国家の保護を受けるようになって広く浸透し、最初の仏教文化と称すべき状況にいたった点に求められよう。
594(推古天皇2)年には仏教興隆の詔が出され、仏教が政治の基本に捉えられた。

仏教の普及に大きく寄与したのは、蘇我氏と厩戸王(聖徳太子)とであった。厩戸王は、自ら「三経の義疏さんぎょうのぎしょ」という、法華ほけ経・維摩ゆいま経・勝鬘しょうまん経の三つの経典の注釈書を著したと伝えられるなど、仏教に対して深い理解をもっていたとされる。

大王家や諸豪族は、古墳に変わってその権威を示し、氏の政治的結集の場とするために、きそって氏寺うじでらを建立した。
蘇我馬子が発願し、朝廷の保護を受け、588年に建立が始まった飛鳥の飛鳥寺(法興寺)、厩戸王の発願によると伝えられ、593年に建立された難波の四天王寺や、607年に建立された斑鳩いかるが斑鳩寺(法隆寺秦河勝はたのかわかつの発願により603年に建立された山背やましろ広隆寺などがその代表的な例である。
その他、飛鳥をはじめとする全国各地に、礎石の上に丹塗にぬりの巨大な柱をおき、屋根を瓦で葺いた、これまでの倭国の建築様式とはかけ離れた規模と様式をもつ寺院が、続々と建立された。
そして639(舒明天皇11)年には、百済大寺くだらおおでらの造営が始まった。これは大王が造営した初めての寺院として、大きな意義を持つ。

参考

寺院データ

  • 所在地 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
  • 位置 北緯34度39分14.04秒 東経135度30分59.22秒
  • 山号 荒陵山こうりょうざん
  • 宗派 和宗
  • 寺格 総本山
  • 本尊 救世観世音菩薩
  • 創建年 推古天皇元年(593年)(『日本書紀』による)
  • 開基 聖徳太子
  • 別称
    金光明四天王大護国寺
    札所等 聖徳太子霊跡1番
    新西国三十三箇所1番
    近畿三十六不動尊1番
    法然上人二十五霊跡 6番
    西国薬師四十九霊場16番
    摂津国八十八箇所25番
    神仏霊場巡拝の道 第43番
    西国三十三所番外
    四国八十八ヶ所霊場番外ほか
  • 文化財
    紙本著色扇面法華経冊子5帖(国宝)(平安)
    本坊西通用門(重要文化財)(江戸前期)
    五智光院(重要文化財)(江戸前期)
    六時堂(重要文化財)(江戸前期)
    元三大師堂(重要文化財)(江戸前期)
    石舞台(重要文化財)(江戸前期)
    絹本著色両界曼荼羅図(重要文化財)
    八角亭(登録有形文化財)(明治)
    四天王寺鳥居(重要文化財)(鎌倉後期)
    四天王寺縁起〈根本本/後醍醐天皇宸翰本〉(国宝)(平安・南北朝)

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創建

四天王寺
絵堂第四面の聖徳太子絵 Source 和宗総本山

『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。

参考 和宗総本山

外部リンク

和宗総本山 – 日本仏法最初の官寺

国指定文化財等データベース

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