サーマーン朝(
A.D.873〜A.D.999)
中央アジアに成立した最初のイラン系イスラーム王朝。サッファール朝を破ってホラーサーンの全域を支配した。中央アジアのイスラーム化が急速に進行し、アッバース朝トルコ系遊牧民の子弟を奴隷として購入し、これを精強な軍人(マムルーク)として育成する方式を採用し、やがてアッバース朝をはじめイスラーム諸王朝に波及した。サーマーン朝でも軍事・政治の実権はしだいにトルコ系軍人の手に移り、マムルーク出身の武将が自立してガズナ朝を開いた。
サーマーン朝
首都:ブハラ
内陸アジア世界の変遷
トルコ化とイスラーム化の進展
イスラーム勢力の西進
751年タラス河畔の戦いでアッバース朝が唐朝を大破し、イスラーム勢力は、ソグド人の本拠地たるアム川・シル川中間地帯を含め、パミール以西のオアシス地帯の西半を完全に勢力圏におさめることとなった。これによりユーラシアの東西を結ぶ通商ネットワークの主役は、ソグド人からムスリム商人へと、しだいに移り変わっていった。
9世紀後半になると、イラン系イスラーム王朝のサーマーン朝がアム川・シル川中間地帯(首都はブハラ)に成立し、やがてイラン東部(ホラーサーン地方)にも進出した。中央アジアに成立した最初のイスラーム王朝である。
サマーン朝の下で中央アジアのイスラーム化は急速に進行し、なかでも周辺のトルコ系民族のイスラームへの改宗は、その後の内陸アジアの歴史に重大な結果をもたらした。
トルコ系遊牧民の子弟を奴隷として購入し、これを精強な軍人(マムルーク)として育成する方式もサマーン朝に始まるもので、やがてこれがアッバース朝をはじめイスラーム諸王朝に波及して、その後のイスラーム世界の軍事・政治に多大の影響をおよぼすことになった。
遊牧民とオアシス民の活動
中央アジアのトルコ化
カラハン朝は西隣のサーマーン朝の影響を受けてイスラームへ改宗し、またサーマーン朝でも軍事・政治の実権はしだいにトルコ系軍人の手に移っていった。
10世紀半ば過ぎ、サーマーン朝のマムルーク出身の武将アルプテギーンがアフガニスタンに自立してガズナ朝の基を築いたのはこうした状況下のことである。やがてガズナ朝とカラハン朝が滅亡すると、中央アジア一帯のトルコ系の波はさらに加速した。
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム帝国の成立
イスラーム帝国の分裂
東方のアッバース朝では、東西貿易の発展と灌漑農業の拡大によって、ハールーン=アッラシード(786〜809)の時代に黄金時代が訪れた。
9〜10世紀のバグダードは、「世界に並ぶもののない都市」としてその繁栄を謳歌することができた。しかしラシードが没すると、まもなくイランのホラーサーン地方でターヒル朝(821〜873)が独立を宣言し、ついで鍛冶職人(サッファール)から身を起こしたヤークーブは、同じくイラン東部にサッファール朝(867〜903)を樹立した。また、アム川以東の中央アジアでは、イラン系の土着貴族がサーマーン朝(875〜999)を建国し、サッファール朝を破ってホラーサーンの全域を支配した。
歴代君主
- ナスル1世(875年 – 892年)
- イスマーイール・サーマーニー(892年 – 907年)
- アフマド(907年 – 914年)
- ナスル2世(914年 – 943年)
- ヌーフ1世(943年 – 954年)
- アブド・アル=マリク1世(英語版)(954年 – 961年)
- マンスール1世(961年 – 976年)
- ヌーフ2世(976年 – 997年)
- マンスール2世(997年 – 999年)
- アブド・アル=マリク2世(999年)
参考 Wikipedia