カンタベリー大聖堂
イギリス国教会の総本山。6世紀末に建てられたが、12世紀末に焼失したのちに再建され、イギリス最初のゴシック様式の大聖堂となった。高さ72mの棟は15世紀末に完成しており、12~13世紀のステンドグラスや壁画・柱頭彫刻がある。世界遺産「カンタベリー大聖堂、セント・オーガスティン修道院跡とセント・マーティン教会」に登録。
カンタベリー大聖堂
イギリス国教会の総本山である。大聖堂は6世紀末に建てられたが、12世紀末に焼失したのちに再建され、イギリス最初のゴシック様式の大聖堂となった。高さ72mの棟は15世紀末に完成しており、12~13世紀のステンドグラスや壁画・柱頭彫刻がある。
参考 Canterbury Cathedral, St Augustine’s Abbey, and St Martin’s Church – UNESCO World Heritage Centre
ギャラリー
歴史
- 7世紀、ローマ教皇の指示によりカンタベリーのアウグスティヌスがサクソン人の治めるケント王国(七王国のひとつ)に布教し、聖オーガスティン修道院を建設。その後のノルマン人の征服によりノルマン朝を興したウィリアム1世(イングランド王)は、アングロ・サクソン式の典礼や聖堂を嫌い、新たにロマネスク様式の大聖堂の建設を命じた。ウィリアム1世の死後、1130年に献堂式が行われ完成した。
- 1170年、政教分離をめぐりヘンリー2世(イングランド王)と対立したカンタベリー大司教トマス・ベケットが殉教し、聖人に列せられたことから、聖地として多くの巡礼者が訪れる場所となった。礼拝堂の床に1本のろうそくが立てられていて、その下にベケットは埋葬されている。ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』もカンタベリー巡礼者の物語である。
- 1174年、火事により聖堂の内陣が焼け落ち、フランス人建築家ギヨーム・ド・サンスの設計によって初期ゴシック様式に再建された。ギヨームは工事中に負傷し帰国したが、その後も工事は継続され、内陣の再建は12世紀に完了した。同時期にトマス・ベケットと、のちにエドワード黒太子の墓所となるトリニティー礼拝室が作られた。
- 1379年から身廊と翼廊が垂直式ゴシック様式で改築される。
- 1503年、「ベル・ハリー・タワー」と呼ばれる大塔が建設される。
参考 Wikipedia
世界遺産
カンタベリーに残る他の二つの重要なキリスト教建築物であるセント・オーガスティン修道院とセント・マーティン教会とともに、ユネスコの世界遺産「カンタベリー大聖堂、セント・オーガスティン修道院跡とセント・マーティン教会」に登録されている。
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トマス・ベケット殺害事件
カンタベリー大司教・トマス・ベケットは、ヘンリー2世(イングランド王)の信頼と愛顧を一身に集めた腹心であり、また、息子のヘンリー(若ヘンリー)の家庭教師を任せた友人でもあった。
ヘンリー2世は王による教会支配を強化しようとし、また、政教関係の難しい調整を期待して、かつて大法官としてトマス・ベケットを1162年にイギリスの総司教座につかせたが、大司教となったトマス・ベケットは教会の自由を唱え、ことあるごとにヘンリー2世と対立した。
ヘンリー2世は、裁判制度の整備を進める上でクラレンドン法を制定して、「罪を犯した聖職者は、教会が位階を剥奪した後、国王の裁判所に引き渡すべし」と教会に要求したが、ベケットはこれを教会への干渉として拒否し、ベケットは1164年、国外追放に処せられた。
1170年、イングランドに帰国したベケットは、親国王派の司教たちを解任した。ノルマンディーに滞在していたヘンリー2世は激怒し、その意を汲んだ4人の騎士は国王が大司教暗殺を望んでいると誤解して、カンタベリー大聖堂においてヘンリー2世に無断でベケットを暗殺した。
人々はベケットを殉教者と見なし、ローマ教会は即座にベケットを列聖した。
ヘンリー2世の立場は悪くなり、修道士の粗末な服装でベケットの墓に額ずき懺悔をするとともに、ローマ教皇に降伏しなければならなくなった。この事件は、ローマ教会への譲歩ばかりではなく、臣下の反逆や息子たちの離反まで招いた。
トマス・ベケット殺害に対する懺悔として、ヘンリー2世(イングランド王)は十字軍遠征を約束し、当面の資金援助としてテンプル騎士団に騎士200人分の費用を提供した。
ヘンリー4世(イングランド王)の埋葬
詳細:ヘンリー4世(イングランド王) – 世界の歴史まっぷ
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパの中世文化
美術と文学
12世紀末ころから北フランスを中心におこったゴシック様式は、高い尖塔とリブ(肋骨)を利用した丸天井をもち、薄い壁とステンドグラスの広い窓によって、軽快さと垂直・上昇への志向を感じさせるのが特徴である。この様式は、13〜14世紀にかけて全ヨーロッパに波及するが、その背景には市民階級の成長にともなう都市の勃興があった。代表的な建築に、フランスのノートルダム大聖堂(アミアン)、ノートルダム大聖堂(ランス)、シャルトル大聖堂、ノートルダム大聖堂(パリ)、ドイツのケルン大聖堂、ストラスブール大聖堂、フライブルク大聖堂、イギリスのカンタベリー大聖堂、ウェストミンスター寺院、イタリアのシエナ大聖堂、ミラノのドゥオーモなどの聖堂がある。