エルミタージュ美術館 (冬宮殿)
ロシアの西端に位置する帝政ロシア時代の都サンクト・ペテルブルクにある冬の離宮。フランス文化に傾倒したエカチェリーナ2世が即位すると、自分専用の美術館に建造した。十月革命後、建物はエルミタージュ美術館の本館となった。「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」として世界遺産に登録。
エルミタージュ美術館
サンクトペテルブルク 歴史地区と関連建造物群
西ヨーロッパに向けて開かれた窓
モスクワの北西、ロシアの西端に位置するサンクト・ペテルブルクは、帝政ロシア時代の都である。18ヶ月にわたって西ヨーロッパ諸国を歴訪したロマノフ朝のピョートル大帝は、ロシアの西欧化や近代化を推進した。サンクト・ペテルブルクは、スウェーデンとの北方戦争さなかの1703年に建設が始まり、西ヨーロッパの文化・芸術を取り入れてつくられた。ネヴァ川左岸の中心部と対岸のペトロパヴロフスク要塞、ワシリエフスキー島の3地区が中核で、ピョートル大帝の統治下にはバロック様式の建物が多い。
18世紀後半にエカチェリーナ2世が即位するとかわって新古典主義の建築物が建造された。現在はエルミタージュ美術館になっている冬宮や聖イサアク大聖堂など、西欧の様式とロシア文化が融合した建築を数多くみる事ができる。
参考
バロック建築と新古典主義建築の融合
モスクワの北西650㎞にあるサンクト・ペテルブルクは、18世紀にロマノフ朝のピョートル大帝が築いたペトロパヴロフスク要塞を起源とする。ロシア帝国の首都となったサンクト・ペテルブルクには宮殿や教会などの建造物が建設されロシアの近代化を進めた。ペトロパヴロフスク要塞の内部には、ドメニコ・トレッツィーニ設計のペトロパヴロフスキー聖堂をはじめ監獄、造幣局などがつくられた。
18世紀に建てられた冬の離宮は、現在エルミタージュ美術館になっている。
参考
ギャラリー
歴史
1764年にエカチェリーナ2世がドイツから美術品を買い取ったのが、エルミタージュ・コレクションのはじまりである。エカチェリーナによって冬宮殿の隣に自身専用の美術品展示室が建てられた(小エルミタージュ、1775年)。エルミタージュは当時のフランス貴族が建てた個人的な離宮を意味した。その後もエカチェリーナのコレクションは増加したため、東隣に施設が増築された(旧エルミタージュ、1787年)。なお、劇場も同じ頃に建設されたものである(エルミタージュ劇場、1786年)。私的なコレクションであり、当時は一般公開されていなかったが、(アレクサンドル2世当時の)1863年に初代館長となったゲデオーノフによって市民も自由に観覧できるようになった。これと前後して新たに施設が増築された(新エルミタージュ、1864年完成)
1917年のロシア革命後は貴族から没収されたコレクションの集積所となった。1918年には冬宮殿に存在した全ての研究、管理組織を建物共々、エルミタージュ美術館として統合することが決定された。この統合作業は第二次世界大戦後に完了した。1930年代には外貨の獲得を目的に政府によって西側諸国への所蔵品の売却が行われている。2014年12月、近接する旧参謀本部の建物を改修して新館がオープンし、印象派を中心に展示している。
主な所蔵作品
絵画
エルミタージュ美術館蔵 Archives – 世界の歴史まっぷ
イタリア・ルネサンス
ジョルジョーネ 『ユディト』
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 『ダナエ(ヴェチェッリオ)』『懺悔するマグダラのマリア』
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ 『リュートを弾く若者』
スペイン
エル・グレコ 『使徒ペトロとパウロ』
ディエゴ・ベラスケス 『昼食(ベラスケス)』
フランシスコ・デ・ゴヤ 『アントニア・サラテの肖像』
フランドル・オランダ
ピーテル・パウル・ルーベンス 『大地と水の結合』『ペルセウスとアンドロメダ』
アンソニー・ヴァン・ダイク 『自画像(ヴァン・ダイク)』
レンブラント・ファン・レイン 『フローラに扮したサスキア』『ダナエ(レンブラント)』『放蕩息子の帰還』
印象派以降
ピエール=オーギュスト・ルノワール 『ジャンヌ・サマリーの肖像』『扇子を持つ女』『小さな鞭を持った少年』
ポール・セザンヌ 『ピアノを弾く少女』『煙草を吸う男』『カーテンのある静物』
クロード・モネ 『庭の女』『ジヴェルニーの干草』『ウォータールー橋』
フィンセント・ファン・ゴッホ 『アルルの女たち』『ライラックの木』『夜の白い家』
ポール・ゴーギャン 『果実を持つ女』
アンリ・ルソー 『虎のいる熱帯の嵐』
アンリ・マティス 『赤い部屋』『会話』『ダンス』