チャンドラグプタ (月護王) (? – 紀元前298年頃)
マガタ国マウリヤ朝創始者(在位紀元前317年頃 - 紀元前298年頃)。
ナンダ朝から王位を奪い、前王朝と同じパータリプトラに都をおくと共に、アレクサンドロス3世の死後の混乱状態にあったインダス川流域からギリシア勢力を一掃、インド史上初めて北インドを統一した。さらにセレウコス朝シリアの軍の進出をはばみ(前305)、これと講和を結んで使節を交換、南方のデカン方面の征服も進めた。
チャンドラグプタ
インド人による初の統一王朝
カーストの卑賤な階級の出身とされる。ナンダ朝を滅ぼしてマウリヤ朝を創始。インド人による最初の統一王朝を開いた。アフガニスタンからベンガル湾にいたる広大な地域を治め、常備軍と官僚機構を柱とした国家を建設。ガンジス川の灌漑で農業を発展させた。
アジア・アメリカの古代文明
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マウリヤ朝の成立
紀元前4世紀、ガンジス川流域ではマガダ国がナンダ朝のもとで発展を続け、同世紀の半ばころ全流域の統一をぼぼなしとげた。
一方、インダス川流域は、ダレイオス1世の征服(前520頃)以後アケメネス朝の属州となり、さらに紀元前4世紀後半にはアレクサンドロス3世に征服され(前327〜前325)、一時ギリシア勢力の支配下に入った。
両大河にまたがる統一帝国を初めて打ち立てたのは、マウリヤ朝(前317〜前180)の創始者チャンドラグプタである。彼はナンダ朝からマガダの王位を奪い、前王朝と同じパータリプトラに都をおくと共に、アレクサンドロス3世の死後の混乱状態にあったインダス川流域からギリシア勢力を一掃した。そして、シリアのセレウコス朝の軍の進出をはばみ(前305)、これと講和を結んで使節を交換した。このとき使節としてパータリプトラに派遣されたギリシア人のメガステネスは、帰国後に『インド誌』を著している。チャンドラグプタはつづいて南方のデカン方面の征服を進めた。マウリヤ朝は第3代のアショーカ王(前268〜前232)の時代に全盛期を迎えた。