アリー・イブン・アビー・ターリブ (
A.D.600〜A.D.661)
第4代正統カリフ。イスラーム教シーア派初代イマーム。預言者ムハンマドの従兄弟で義理の息子。第3代ウスマーン(正統カリフ)暗殺はアリー派人物だったため、ウマイヤ家の攻撃を受ける。和睦に持ちこんだが、それを不満に思う一派に暗殺された。ウマイヤ朝の成立後、アリー(正統カリフ)とその子孫に共同体を指導する権利があると主張する人々は、シーア派(分派)を結成した。
アリー・イブン・アビー・ターリブ
凶刃に倒れた第4代正統カリフ
スンナ派では第4代正統カリフ、シーア派では初代イマームとされる。ハーシム家の生まれで、預言者ムハンマドの従弟。ムハンマドの娘ファーティマを妻とし、預言者の娘婿となる。改宗時期は早く、ハディージャあるいは解放奴隷ザイドについで2番目か3番目の信者とされる。ウマイヤ家出身の第3代カリフのウスマーンが暗殺されると、その暗殺者たちによって第4代カリフに擁立される。しかし、ウマイヤ家のムアーウィヤをはじめ、これに反対する声も強かった。やがてムアーウィヤとの話し合いに応じたところ、これに反発する者たちが分派(ハワーリジュ派)をつくって刺客を放つ。アリーはその刺客の手にかかって殺された。
正統カリフの終焉
4代正統カリフ。ムハンマドの従兄弟で義理の息子。ウスマーン(正統カリフ)暗殺はアリー派人物だったため、ウマイヤ家の攻撃を受ける。和睦に持ちこんだが、それを不満に思う一派に暗殺された。
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム帝国の成立
アラブ人の征服活動
アブー・バクルからアリー・イブン・アビー・ターリブ(656〜661)にいたるまでの4人のカリフは「正統カリフ」と呼ばれる。しかし、征服活動の進展によってカリフ権が強大になると、その継承権を巡って共同体の内部には深刻な分裂が発生した。第3代カリフのウスマーン・イブン・アッファーン(644〜656)は不満分子によって殺され、第4代カリフのアリー・イブン・アビー・ターリブも過激派の手で暗殺された。シリア総督であったウマイヤ家のムアーウィヤ(661〜680)は、シリアのダマスクスにウマイヤ朝(661〜750)を開くことによって、この政治的混乱をようやく収拾することができた。
シーア派とスンナ派
ウマイヤ朝の成立後、アリー(正統カリフ)とその子孫に共同体を指導する権利があると主張する人々は、シーア派(分派)を結成した。これに対して預言者の言行(スンナ)に従って生活することを重視する多数派のイスラーム教徒は、スンナ派と呼ばれる。スンナ派の4法学派とシーア派はそれぞれ独自の法体系をもち、イスラーム教徒はみずからの属する法学派の法によって裁判をうけることができた。
同時代の人物
弘文天皇(大友皇子)(648〜672)
第39代天皇(在位672年1月9日 - 672年8月21日)。天智天皇の第一皇子。母は伊賀采女宅子娘。天智天皇崩御後、後継者として統治したが、地方豪族を母にもつ大友皇子は即位できない立場にあり、天智天皇の弟大海人皇子がおこした壬申の乱に破れ自害した。 1870(明治3)年に諡号を贈られ天皇として認められたが、『日本書紀』には記載がなく、即位したかどうか定かでない。