ヴワディスワフ2世(ポーランド王)(
A.D.1348〜A.D.1434)
ポーランド王、ヤゲウォ朝の創始者。リトアニア大公(在位1377〜1381)だったが、東のモンゴル勢力と北のドイツ騎士団の圧力に抵抗するため、カトリックに改宗してヤドヴィガ(ポーランド女王)と結婚、ポーランド国王を兼任した(ヴワディスワフ2世(ポーランド王))(在位1386〜1434)。ドイツ騎士団を破り、プロイセン公国も含み、黄金期を築いた。クラクフ大学を再興。
ヴワディスワフ2世(ポーランド王)
ポーランドの黄金期を築く
ポーランド王( A.D.1348〜A.D.1434)、ヤゲウォ朝の創始者。リトアニア大公だったが、キリスト教に改宗してポーランド女王ヤドヴィガと結婚。ドイツ騎士団を破り、プロイセン公国も含み、黄金期を築いた。クラクフ大学を再興。
ヨーロッパ世界の形成と発展
東ヨーロッパ世界の成立
西スラヴ人の動向
ポーランドの北には、スラヴ系に近いバルト語系のリトアニア人が居住していたが、ドイツ騎士団の進出に対抗して13世紀半ばに統一され、14世紀にはヴィリニュスに都を置いたゲディミナス公ののもとで南・西ロシアの諸公国が併合され、大公国(リトアニア大公国(13世紀〜1795))となった。
1386年、リトアニア大公ヤガイラは、東のモンゴル勢力と北のドイツ騎士団の圧力に抵抗するため、カトリックに改宗してヤドヴィガ(ポーランド女王)と結婚、ポーランド国王を兼任した(ヴワディスワフ2世(ポーランド王))。
こうして、ヤギェウォ朝(1386〜1572)のリトアニア=ポーランド王国が誕生、15世紀にはドイツ騎士団をたびたび破り、さらに東方のモンゴル支配地域にも積極的に進出するなど強盛を誇ったが、その後次第に衰退し、リトアニアのカトリック化・ポーランド化を招いた。