アウストラロピテクス
ルーシー エチオピア出土、320万年ま、アウストラロピテクス・アファレンシスの成人女性。胸部は末広がりで、骨盤は幅広い。脚は短いが腕は長く二足歩行だけでなく木登りもうまかった。復元・国立科学博物館蔵

アウストラロピテクス


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アウストラロピテクス Australopithecus
「南のサル」を意味する。南・東アフリカ各地で発見された猿人の総称。約420万年前から200万年前のおよそ220万年間で数段階にわけられ、彼らは直立歩行をおこない、石器を使用していた。

アウストラロピテクス

先史時代の遺跡地図 日本列島と日本人
先史時代の遺跡地図©世界の歴史まっぷ

「南のサル」を意味する。南・東アフリカ各地で発見された猿人の総称。約420万年前から200万年前のおよそ220万年間で数段階にわけられ、彼らは直立歩行をおこない、石器を使用していた。

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先史の世界

人類の出現と文明への歩み

最初の人類を猿人といい、南アフリカで発見されたアウストラロピテクスなどがこれに属する。そのなかに簡単な打製石器を使用するものもいた。

最古の人類

したがって人類が独自の系統の進化のコースに入ったのは、800万年から500万年前にかけてのことと思われる。その段階の証拠となるものは見つかっていない。しかし最近エチオピアであごの骨が発見されたラミダス猿人(アルディピテクス・ラミダス)は、明らかに類人猿とはことなる特徴をもっており、これが現在知りうる最古の人類=猿人とされている。同じエチオピアで完全な骨格が発見されたアウストラロピテクス=アファレンシスは、400万年前よりはのちに現れたと思われるが、明らかに直立して歩行し、腰や足の骨には新しい変化が生じていたことがわかる。

同じ系統の猿人として、アウストラロピテクス=ボイセイ、同ロブストゥスなど全部で4種がすべてアフリカで発見された。250万年前になって、更に進化した人類がやはりアフリカに出現する。これが最初のホモ属のホモ=ハビリスで、脳は大きく、丸い頭蓋骨は人類型の顔をしており、ことに大腿骨はアウストラロピテクス属にくらべ現代の人類に極めて近い。

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にほん文化のあけぼの

文化の始まり

日本列島と日本人

人類誕生の地はアフリカ大陸である。1924年、最初にアウストラロピテクス(南方の猿の意)を発見したのは南アフリカの解剖学者レイモンド=ダートであった。アウストラロピテクス=アファレンシス(アファール猿人)は、現代人の約3分の1(約500cc,ゴリラやチンパンジー並み)の脳容量しかもたなかったが、直立二足歩行をしており、新生代新第三紀鮮新世の390万〜290万年前ころに生存したらしい。

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先史時代年表

実年代
(年前)
地質
年代
史的
年代
考古
年代
人類経済・社会・文化
500万年








初源期の人類の出現
400万年アウストラロピテクス・アファレンシス猿人獲得経済(狩猟・採集)
礫石器の使用
言語の形成
道具の製作
火の使用









250万年ホモ・ハビリス
130万年ジャワ原人原人
50万年北京原人
12万年





ネアンデルタール人旧人埋葬開始(宗教の起源)
剥片石器の使用
骨角器の製作・漁労
弓矢の発明
洞窟絵画
4万年前





フマーネ洞窟の壁画
6万年クロマニョン人
周口店上洞人
新人
3万6000年前ショーヴェ洞穴の壁画
2万年前







ラスコー洞窟の壁画
1万年





農耕・牧畜開始, 生産経済に入る
磨製石器・土器・織物・煉瓦・村落定住
4000年



シュメール
セム語系・エジプト語系民族の登場
インド・ヨーロッパ語系民族の登場
灌漑農業・犂耕・手工業・交易開始
青銅器・文字・神殿の出現
都市・階級の成立
奴隷の発生
3000年





分業の発達
鉄器の普及
国家の成立
※上記の実年代算定は、人類学・考古学・地質学により、また研究者によって相当の差がある。
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