曾国藩
曾国藩(画像出典:WIKIMEDIA COMMONS

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曾国藩 そうこくはん( A.D.1811〜A.D.1872)
湘軍を組織し太平天国鎮圧に貢献した清末の政治家。両江りょうこう総督・直隷ちょくれい総督・内閣大学士などを歴任。洋式兵器工場を建て、洋務運動の先駆者となった。

曾国藩

湘軍を組織し太平天国鎮圧に貢献した清末の政治家。両江りょうこう総督・直隷ちょくれい総督・内閣大学士などを歴任。洋式兵器工場を建て、洋務運動の先駆者となった。

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アジア諸地域の動揺

東アジアの激動

太平天国の興亡
常勝軍 捻軍 19世紀半ばの東アジア地図 太平天国の興亡
19世紀半ばの東アジア地図 ©世界の歴史まっぷ

太平天国は、1854〜55年の全盛期には300万人を数えたといわれ、華北や長江上流に軍を進めたが、天京政府首脳部の内紛によって衰えはじめ 、一方、清朝側では、漢人官僚が郷里で組織した地主階級を中核とする義勇軍(郷勇きょうゆう)が各地で結成され、弱体な清朝正規軍(八旗・緑営)にかわって、太平軍と激戦を展開するようになった。曾国藩そうこくはん(1811〜72)の率いる湘軍しょうぐん(湖南省)、李鴻章(1823〜1901)の率いる淮軍わいぐん安徽あんき省)、左宗棠さそうとうの率いる楚軍(湖南省)などが代表的な郷勇である。

太平天国の動乱は、清朝政府や正規軍の無力ぶりを明るみにだし、曾国藩や李鴻章ら、反乱平定に活躍した漢人官僚が政治の中枢に進出するきっかけとなった。また反乱平定に際して、地方長官(総督・巡撫)に地方の軍事・行政・財政権をゆだねることは、清末以降の中国の政局の一大特色をなす地方分権への道を開くものであった。巨大な民族運動としての太平天国は、孫文や毛沢東など、その後の民族運動・革命運動に大きな影響を与え、その原点としての位置を占めるものとなった。

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