世祖(朝鮮) (せいそ、セジョ) (1417年11月7日〜1468年9月23日)
李氏朝鮮の第7代国王。在位:1455年7月25日〜1468年9月22日。
癸酉靖難を起こして王位に就く。孫に第9代国王成宗などがいる。第4代国王・世宗の第2王子であり、第3代国王・太宗の孫。
即位前は晋平大君(チンピョンデグン、しんへいだいくん)→咸平大君(ハムピョンデグン、かんへいだいくん)→晋陽大君(チニャンデグン、しんようだいくん)を経て1445年に首陽大君(スヤンデグン、しゅようだいくん)に冊封された。
世祖(朝鮮)
王朝 李氏朝鮮
在位期間 1455年 – 1468年
姓・諱 李瑈
字 粋之(スジ、수지)
諡号 恵荘承天体道烈文英武至徳隆功聖神明睿欽粛仁孝大王
廟号 世祖
生年 1417年11月7日
没年 1468年9月24日
父 世宗(次男)
母 昭憲王后
后妃 貞熹王后(坡平尹氏)、謹嬪 朴氏、廃昭容 朴氏、淑媛 申氏
陵墓 光陵(世祖大王陵) 京畿道 南楊州市 榛接邑 光陵樹木園路354 (경기도 남양주시 진접읍 광릉수목원로 354)
即位前は晋平大君(しんへいだいくん)(チンピョンデグン)→咸平大君(かんへいだいくん)(ハムピョンデグン)→晋陽大君(しんようだいくん)(チニャンデグン)を経て1445年に首陽大君(しゅようだいくん)(スヤンデグン)に冊封された。
略歴
- 1417年 世宗の次男として生まれる。
- 1452年 兄である第五代国王・文宗(李珦)が没し、甥の端宗(李弘暐)が11歳で即位すると、王を補佐する役割を担う。
- 1453年 端宗を補佐する大臣らを除いて政権を掌握する(癸酉靖難)。
- 1455年 譲寧大君や申叔舟、權擥、韓明澮らの後押しにより自ら第6代国王・端宗に退位を強要し、第7代国王に即位する。王位に就くと、山のような上書を書いたり、また王宮の広場で座り込んで訴訟をする反対勢力を拷問や股裂きの刑罰等でことごとく粛清し、議政府署事制を廃して再び六曹直啓制を復活、王権を自身の元に集約する。
- 1457年 明において、当時上皇であった英宗(朱祁鎮)が重祚(ちょうそ)した奪門の変(だつもんのへん)が起こると甥で既に魯山君に降格されていた前王端宗を配流先で賜薬により毒殺する。
- 晩年 自身の身体の皮膚が徐々に癩病(現在でいうハンセン病)に侵されるようになり、
- 1468年9月7日 次男の海陽大君(のちの睿宗(えいそう))(李晄)に王位を譲って上王となり、翌日薨去した。
経国大典
強力な王権を維持するため、官制の改革、法制や軍制の充実に努め、朝鮮王朝の基本法典である「経国大典」の編纂を開始した。
李氏朝鮮時代の政治の基準になった法典。『周礼(しゅうらい)』の六官制に倣い、吏典・戸典・礼典・兵典・刑典・工典の六典からなる。
朝鮮の初期は明の法典『大明律』(1397年)を依用、太祖の代の『朝鮮経国典』を使用していたが、世祖が、崔恒・盧思愼らに命じて、1460年に戸典、1461年に刑典、1469年の成宗の代に残りの4典を撰進することをもって完成した。
世祖が登場する作品
王女の男
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李氏朝鮮歴代王一覧
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李氏朝鮮国王一覧
姓・諱 | 廟号 | 日本読み | 朝鮮読み | 在位開始 | 在位終了 | 作品 | 党派 | 乱 | 父 | 母 | 封号 | ||||||||
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李氏朝鮮 | 第1 | 李成桂 | 太祖 | たいそ | 1393 | 1398 | 勲旧派 | 李子春 | 永興崔氏 | 権知高麗国事 | |||||||||
第2 | 李芳果 | 定宗 | ていそう | チョンジョン | 1398 | 1400 | 太祖 | 神懿王后 | 次男 | ||||||||||
第3 | 李芳遠 | 太宗 | たいそう | テジョン | 1400 | 1401 | 太祖 | 神懿王后 | 五男 | ||||||||||
1401 | 1418 | 朝鮮国王 | |||||||||||||||||
第4 | 李裪 | 世宗 | せいそう | セジョン | 1418 | 1450 | 太宗 | 元敬王后・閔氏 | 三男 | ||||||||||
第5 | 李珦 | 文宗 | ぶんそう | ムンジョン | 1450 | 1452 | 王女の男 | 世宗 | 昭憲王后・沈氏 | 長男 | |||||||||
第6 | 李弘暐 | 端宗 | たんそう | タンジョン | 1452 | 1455 | 癸酉靖難 | 文宗 | 顕徳王后・權氏 | ||||||||||
第7 | 李瑈 | 世祖 | せいそ | セジョ | 1455 | 1468 | 李施愛の乱 | 世宗 | 昭憲王后・沈氏 | 次男 | |||||||||
第8 | 李晄 | 睿宗 | えいそう | イェジョン | 1468 | 1469 | 世祖 | 貞熹王后・尹氏 | 次男 | ||||||||||
第9 | 李娎 | 成宗 | せいそう | ソンジョン | 1469 | 1494 | 士林派 | 世祖の長男・懿敬世子 | 仁粋大妃 | 次男 | |||||||||
第10 | 李㦕 | 燕山君 | えんざんくん | ヨンサングン | 1494 | 1506 | 戊午士禍 甲子士禍 中宗反正 | 成宗 | 廃妃・尹氏 | 長男 | |||||||||
第11 | 李懌 | 中宗 | ちゅうそう | チュンジュン | 1506 | 1544 | 己卯士禍 | 成宗の次男 | 貞顕王后・尹氏 | ||||||||||
第12 | 李峼 | 仁宗 | じんそう | インジョン | 1544 | 1545 | 中宗 | 章敬王后・尹氏 | 長男 | ||||||||||
第13 | 李峘 | 明宗 | めいそう | ミョンジョン | 1545 | 1567 | 乙巳士禍 | 中宗 | 文定王后 | 次男 | |||||||||
第14 | 李昖 | 宣祖 | せんそ | ソンジョ | 1567 | 1608 | 西人 | 東人 | 文禄・慶長の役 | 中宗の三男・徳興大院君 | 河東府大夫人鄭氏 | 長男 | |||||||
第15 | 李琿 | 光海君 | こうかいくん | クァンヘグン | 1608 | 1623 | 南人 | 北人 | 宣祖 | 恭嬪金氏 | 次男 | ||||||||
第16 | 李倧 | 仁祖 | じんそ | インジョ | 1623 | 1649 | 小北 | 大北 | 宣祖の五男・定遠君(庶子) | 仁献王后 | 長男 | ||||||||
第17 | 李淏 | 孝宗 | こうそう | ヒョジュン | 1649 | 1659 | 仁祖 | ||||||||||||
第18 | 李棩 | 顕宗 | けんそう | ヒョンジョン | 1659 | 1673 | 西人粛清 | 孝宗 | 仁宣王后 | 長男 | |||||||||
第19 | 李焞 | 粛宗 | しゅくそう | スクチョン | 1674 | 1720 | トンイ | 老論 | 少論 | 甲寅礼訴 庚申換局 | 顕宗 | 明聖王后 | 長男 | ||||||
第20 | 李昀 | 景宗 | けいそう | キョンジョン | 1720 | 1724 | 辛壬士禍 | 粛宗 | 禧嬪張氏 | 長男(庶子) | |||||||||
第21 | 李昑 | 英祖 | えいそ | ヨンジョ | 1724 | 1776 | イ・サン | 僻派 | 時派 | 壬午士禍 | 粛宗 | 淑嬪崔氏 | 次男(庶子) | ||||||
第22 | 李祘 | 正祖 | せいそ | チョンジョ | 1776 | 1800 | 功西 | 信西 | 辛酉教獄 | 英祖の次男・荘献世子 | 恵慶宮洪氏 | 次男 | |||||||
第23 | 李玜 | 純祖 | じゅんそ | スンジョ | 1800 | 1834 | 僻派 | 勢道政治 (安東金氏) | 正祖 | 綏嬪朴氏 | 次男 | ||||||||
第24 | 李奐 | 憲宗 | けんそう | ホンジョン | 1834 | 1849 | 純祖の長男・孝明世子 | 神貞王后 | 長男 | ||||||||||
第25 | 李昪 | 哲宗 | てっそう | チョルジュン | 1849 | 1863 | 正祖の弟・恩彦君の子・恩彦君 | 龍城府大夫人廉氏 | 三男 | ||||||||||
第26 | 李熙 | 高宗 | こうそう | コジュン | 1863 | 1897 | 明成皇后 | 江華島事件 壬午事変 甲申政変 東学党の乱 乙未事変 | 英祖の次男・荘献世子の三男・恩信君 の養子・南延君の四男・興宣大院君 | 驪興府大夫人閔氏 | 次男 | ||||||||
大韓帝国 | 高宗 | 1897 | 1907 | 第1代皇帝 | |||||||||||||||
第27 | 李坧 | 純宗 | じゅんそう | スンジュン | 1907 | 1910 | 高宗 | 明成皇后閔氏 | 長男 | 第2代皇帝 |