征韓論 せいかんろん
明治時代初期、朝鮮の鎖国排外政策を武力で打破し、国交を開き、勢力を伸ばしていこうとする主張。西郷隆盛・板垣退助らが主唱。
征韓論
朝鮮の鎖国排外政策を武力で打破し、国交を開き、勢力を伸ばしていこうとする主張。西郷・板垣らが主唱。
アジア諸地域の動揺
東アジアの激動
朝鮮の開国
1860年代になると、欧米列強は従来からの鎖国政策を続ける朝鮮にも開国を迫るようになった。列強の開国要求に対し、当時の朝廷の実権者大院君(1820〜98, 国王高宗(朝鮮)の父)は、強硬な攘夷政策をとってこれを拒否した。やがて明治維新後の日本政府も、朝鮮に対して開国を要求するようになった。そこでの西郷隆盛(1822〜77)、板垣退助(1837〜1919)らの征韓論はひとまず退けられた。1875年におきた江華島事件を契機に、日本政府は、朝鮮に強い圧力をかけ、翌76年、釜山・仁川・元山の3港の開港のほか、領事裁判権や日本側に一方的な無関税特権など、不平等条項を含む日朝修好条規(江華島条約)を結んだ。