漢城条約
1885年(明治18年)1月9日。甲申政変後、日本と李氏朝鮮の講和を目的に締結された条約。甲申政変に関する条約は、他に日本が清国と締結した天津条約がある。
日本側: 全権大使・井上馨、
朝鮮側: 全権大臣・金弘集。
漢城条約
締結場所: 李氏朝鮮の首都: 漢城府(現: ソウル特別市)。
漢城条約の内容
- 第一款 朝鮮国は国書をもって日本国に謝罪を表明すること。
- 謝罪使節として徐相雨とドイツ人外務顧問のモルレンドルフが来日した。
- 第二款 日本国民の被害者遺族並びに負傷者に対する見舞金、及び暴徒に略奪された商人の貨物の補填として、朝鮮国より11万円を支給すること。
- 壬午事変時よりも被害者数が膨大になっているので、その分済物浦条約よりも増額されている。
- 第三款 磯林大尉を殺害した犯人を捜査・逮捕し、正しく処罰すること。
- 済物浦条約の例に倣って、20日以内の逮捕が約されている。
- 第四款 日本公使館を再建する必要があるので、朝鮮国が代替の土地と建物を交付しそれに充てること。また、修繕・改築費用として、朝鮮国は2万円を支給し、工費に充てること。
- 当初は再建費用4万円を要求していたが、朝鮮側が減額を望んだので、井上が既存の建物を改修して用いるという修正案に改めた。
- 第五款 公使館護衛兵用の兵営は新しい公使館に相応しい場所に移動し、その建設と修繕は済物浦条約第五款の通り朝鮮政府が施行すること。
- 済物浦条約第五款の規定、即ち『兵営を設置・修繕するのは朝鮮国の役目とする』を改めて確認したもの。
漢城条約が登場する作品
日本側: 全権大使・井上馨、朝鮮側: 全権大臣・金弘集が登場して漢城条約を締結する前後が詳しく描かれている。