アストゥリアス王国
A.D.718〜A.D.925
現在のスペインアストゥリアス州に存在した王国。イスラーム勢力により滅亡した西ゴート王国の貴族ペラーヨがアストゥリアスに逃れて建国した。
首都はカンガス・デ・オニス、ラングレーオ、プラビア、オビエド。10世紀にレオンに遷都してレオン王国となった。
アストゥリアス王国
概要
711年(または712年)、グアダレーテ河畔の戦いでイベリア半島をイスラーム勢力(ウマイヤ朝)が征服し、西ゴート王国が滅亡した。
この際、イスラームへの抵抗を続けた西ゴート王国の貴族ペラーヨは、イベリア半島北西部にまで逃れ、在地のアストゥリアス人勢力と結んで、アストゥリアス王国を建国した。
イスラーム勢力の攻撃を受けるが、722年頃にコバドンガの戦いで勝利して独立を保つと、カンガス・デ・オニスを都として支配を固めた。
この際、イスラームへの抵抗を続けた西ゴート王国の貴族ペラーヨは、イベリア半島北西部にまで逃れ、在地のアストゥリアス人勢力と結んで、アストゥリアス王国を建国した。
イスラーム勢力の攻撃を受けるが、722年頃にコバドンガの戦いで勝利して独立を保つと、カンガス・デ・オニスを都として支配を固めた。
アルフォンソ2世(アストゥリアス王)の時代にガリシア地方へと版図を拡大し、聖ヤコブを守護聖人とするサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を設けた。また、カンガス・デ・オニスにかわりオビエドを支配の拠点とした。このころより、イスラーム勢力に対する反撃が進められた。
ガルシア1世の時代に、都はオビエドからレオンへ遷都し、これ以降の王国はレオン王国と称される(ガルシア1世(レオン王))。
歴代国王
- ペラーヨ 718年–737年 コバドンガの戦いを通じて王国の土台を築き、カンガス・デ・オニスを首都にする。
- ファビラ 737年–739年
- アルフォンソ1世(アストゥリアス王) 739年–757年 アルフォンソ1世およびその子孫はアストゥリアス=レオン王家と形づけられる。
- フルエーラ1世 757年–768年 残酷王
- アウレリオ(アストゥリアス王) 768年–774年
- シロ(アストゥリアス王) 774年–783年 アルフォンソ1世の娘で自身の妻であるアドシンダを介して王位を継承。首都をプラビアに移転。
- マウレガート 783年–788年 簒奪王 アルフォンソ1世の庶子で王位を簒奪。
- ベルムード1世 788年–791年 助祭王、修道士王 修道士に復帰
- アルフォンソ2世(アストゥリアス王) 791年–842年 純潔王 オビエドに首都を移転。
- ネポシアーノ 842年 王位を簒奪。ラミーロ1世と後継を争い、敗れる。
- ラミロ1世(アストゥリアス王) 842年–850年 ネポシアーノを廃位。
- オルドーニョ1世 850年–866年
- アルフォンソ3世(アストゥリアス王) 866年–910年 大王 王国は3人の息子の間で分割され、ガルシア1世(レオン王)はレオン王国を 、オルドーニョ2世はガリシア王国を、フルエーラ2世はアストゥリアス王国をそれぞれ相続した。
- フルエーラ2世 910年–924年 924年レオン王国に併合。
国王参考: Wikipedia