アッバース1世
アッバース1世 ©Public Domain

アッバース1世


アッバース1世( A.D.1571〜A.D.1629)

サファヴィー朝第5代シャー(在位1588年 - 1629年)。第4代ムハンマド・ホダーバンデの子。王直属の常備軍ゴラームを組織し、オスマン帝国に逆襲。公共施設や経済復興など内政に尽力。イスファハーンに遷都し壮大な都を築く。

アッバース1世

壮麗な首都を建設しサファヴィー朝が繁栄

アッバース1世
イスファハーンの宮殿のアッバース1世とヴァリ・ムハマド・カーン Wikipedia

サヴァヴィー朝の全盛期を築いたアッバース1世は、「大王」の称号を与えられた。

イラン地方でティムール朝が衰え始めた15世紀末。アッラー神との合一を理想とする神秘主義(スーフィズム)のサファヴィー教団が力をつけ、教団の指導者イスマーイール1世がサファヴィー朝を建国した。
サファヴィー朝の全盛は、17歳で即位した5代アッバース1世の時代。王直属の奴隷軍を創設し、銃や大砲の近代兵器を装備。先代に侵攻を受けたオスマン帝国に逆襲してアゼルバイジャン地方を奪回し、ペルシア湾のホルムズ島をポルトガルから回復。道路や公共施設を建設し、経済を復興した。

遷都したイスファハーンには壮麗な王宮やモスクを建築した。イスファハーンはヨーロッパ商人から「世界の半分」と称され、大いに繁栄した。

アッバース1世は、ホルムズ島をポルトガルから奪うとき、イギリスと手を組んだ。またオランダ、フランスとも友好関係を結んだ。イギリス使節が、初めてイランの地を訪れたのもこの時代である。
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アジア諸地域の繁栄

トルコ世界とイラン世界

サファヴィー朝国家

1587年に即位したアッバース1世(位1587〜1629)は、軍事貴族と化したキジルバシュを抑えるため、新たに常備軍としてゴラーム(奴隷兵)を組織し、近衛兵を増員し、これらを有力キジルバシュにかえ中央・地方の要職につけ、王の側近による中央集権的体制を樹立した。

こうしてタブリーズ・バグダード・ヘラートなどの領土を回復し、ホルムズ島からポルトガル勢力を駆逐し、ペルシア湾の交易ルートを手中にした。治安は安定し、国内の道路・橋・隊商宿を整備した。

サファヴィー朝 サファヴィー朝国家 オスマン帝国 オスマン帝国の拡大 オスマン帝国とサファヴィー朝の最大領域地図
オスマン帝国とサファヴィー朝の最大領域地図 ©世界の歴史まっぷ

アッバース1世の都市計画

アッバース1世は、セルジューク朝以来の旧市街を残したまま、南郊にバーグ(イラン式庭園)と広大な王の広場を、その周囲に王宮と青色のタイルにおおわれた壮麗なシャーのモスクを建設し(1612)、旧市街との間にはバザール(常設市場)が発展し、各地から商人や芸人が集まった。水と緑に囲まれた庭園の建設に、遊牧民的生活をおこなったサファヴィー朝君主の性格が示されている。

イスファハーンのイマーム広場
フランスの建築家パスカル・コステ(Pascal Coste)が1841年にペルシャを訪問して描いたイマーム・モスクと中庭。©Public Domain

サファヴィー朝国家 – 世界の歴史まっぷ

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世界遺産

イスファハーンのイマーム広場

アリー・カプー宮殿
アリー・カプー宮殿 Wikipedia
イスファハーンのイマーム広場
シェイフ・ロトフォッラー・モスク Wikipedia

イスファハーンは、紀元前6世紀からの歴史をもつイラン有数のオアシス都市。モンゴル・ティムール朝によって崩壊したが、16世紀末サファビー朝全盛期のアッバース1世が、『コーラン』に記された楽園を理想としてイラン高原に築いた都で、イマーム広場にある青タイルを張りつけた「王のモスク」の正面玄関の天井は、美しいつくりで有名である。

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