アルメニア Armenia
カザフカース・トルコ・イランにまたがる、カスピ海と小アジアのあいだに広がる高原地帯。トルコマンチャーイ条約で大半がロシア領となった。
アルメニア
カザフカース・トルコ・イランにまたがる、カスピ海と小アジアのあいだに広がる高原地帯。トルコマンチャーイ条約で大半がロシア領となった。
アルメニア共和国: 首都: エレバン 非カルケドン派であるアルメニア使徒教会の信者が大半を占めている。
アルメニア王国: 紀元前190年から紀元前66年まで独立していた王国であり、428年までローマとペルシア帝国に従属していた国家。1世紀にキリスト教の布教が行われ、301年にキリスト教を国教とした。
アルメニア人: アルメニアの主要民族。インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用し。アルメニア人の6割はアルメニア共和国の外に暮らすディアスポラ。
アルメニアの歴史
先史時代
クラ・アラクセス文化があったことが知られており、文明の早い時期から車輪が使われていた。
紀元前6世紀頃
国際的な商業活動で繁栄する。
紀元前1世紀
メソポタミアの一部であるアルメニア高原を中心に大アルメニア王国を築き繁栄するが、ローマ帝国とパルティア、サーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもあった。
1世紀頃
キリスト教を布教する。
301年
世界で初めてキリスト教を国教とする。
5世紀
アルメニア文字を創始する。
サーサーン朝ペルシアの支配下に入り、更にアラブの侵攻を受ける。
9世紀半ば
バグラト朝が興り、独立を回復するが長くは続かず、セルジューク朝、Zakarid Armenia、モンゴル・ティムール朝などの侵入が相次いで国土は荒廃する。
10世紀
多くのアルメニア人が故国を捨てる(ディアスポラ)。
11世紀
13世紀
14世紀
1636年
アルメニアはオスマン帝国とサファヴィー朝ペルシアに分割統治される。
1826年
1826年に始まった第二次ロシア・ペルシア戦争の講和条約・トルコマンチャーイ条約(1828年)によってペルシア領アルメニアはロシア領となる。
19世紀後半
オスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され(アルメニア人虐殺)、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込む。
ロシア革命後
民族主義者によりアルメニア第一共和国が樹立されるが、赤軍の侵攻により崩壊する。
1920年
アルメニア社会主義ソビエト共和国が成立する。
1936年まではザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を構成していた。
1988年にアゼルバイジャン共和国にあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニアに帰属替えを求めるアルメニア人の運動が起り、これに反発したアゼルバイジャン人との緊張の中で衝突が起り、両国の本格的な民族紛争(ナゴルノ・カラバフ戦争)に発展した。
1991
ソ連保守派のクーデターが失敗した為、同年9月にアルメニア共和国は独立を遂げた。10月17日、大統領選挙でレヴォン・テル=ペトロシャンが圧勝するが、カラバフを巡るアゼルバイジャン人との紛争は現在も続いている。
1991年
1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に加盟、同年12月31日付でソ連邦は解体・消滅した。アルメニアは独立国家となった。
アルメニア教会
キリスト教 > 東方教会 > 東方諸教会 > 非カルケドン派正教会 > アルメニア教会
アルメニア、ならびに世界各地にあるアルメニア人コミュニティで信仰されているキリスト教・非カルケドン派の教会。約500万人の信者を擁する。使徒教会の名は、伝承に十二使徒がアルメニアにキリスト教を伝えたとあることに由来する。アルメニア正教会(Armenian Orthodox Church)とも呼ばれる。