ウラディミル1世
ウラディミル1世の洗礼(ヴィクトル・ヴァスネツォフ画/ウラディミル聖堂壁画)©Public Domain

ウラディミル1世


ヤロポルク1世

スヴャトポルク1世

ウラディミル1世 ( A.D.955〜A.D.1015)

リューリク朝のキエフ公国大公(在位980〜1015)。一族を各地に封じて土着勢力を抑えるとともに、ビザンツ皇帝バシレイオス2世の妹と結婚し、自らも洗礼を受けて「ギリシア正教」を国教と定めて国家支配の強化に努めた。同時にロシアにビザンツ文化も導入した。

ウラディミル1世

キリスト教を受容し国家を強化

リューリクの時代から一族は南下を続け、キエフに公国を築いた。ウラディミル1世は、兄ヤロポルクを殺害してキエフ大公の座に就いた。ビザンツ皇帝バシレイオス2世の妹アンナをめとったのを機に、自らもロシア正教の洗礼を受け、キリスト教化によって国家を統一。同時にビザンツ文化も導入した。

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キリスト教に改宗し聖公と呼ばれる

ロシアのキエフ大公。父の死後、兄を討ってキエフ大公となる。領土を拡大。ノルマン系ルス族の植民を促し、農奴制を進めた。東ローマ皇帝の妹と結婚し、ギリシア正教に改宗。ビザンツ文化を受け入れた。叙事詩『ブィリーナ』で業績が称えられている。

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ヨーロッパ世界の形成と発展

ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

東ヨーロッパ世界の成立

東スラヴ人の動向

東方ロシアに拡大した東スラヴ人は、バルト海と黒海・カスピ海を結ぶ交通の要衝ノヴゴロドやキエフを中心に、9世紀ころまでにいくつかの小国家を建設していたが、882年ノヴゴロドから南下したヴァイキングオレグ(キエフ大公)がキエフを占領すると、統一国家キエフ公国が成立した。遠征と貢税支配に依拠した初期のキエフ公国では、イーゴリ1世(キエフ大公)(位:912〜945)とスヴャトスラフ1世(キエフ大公)(位:945〜972)の時代に外征を繰り返し、たびたびビザンツ領を荒らしたほか、南ロシアのハザール国やブルガリア帝国に打撃を与えた。

ヴァイキングの活動 ヴァイキングの侵入地図 ©世界の歴史まっぷ
ヴァイキングの侵入地図

次のウラディミル1世(キエフ大公)(位:980〜1015)は、一族を各地に封じて土着勢力を抑えるとともに、ビザンツ皇帝バシレイオス2世の妹と結婚、ギリシア正教を国教と定め(988/989)、国家支配の強化に努めた。

その子スヴャトポルク1世(キエフ大公)(位:1019〜1054)の時代に領土はさらに拡大、ビザンツ文化を積極的に摂取し、絶頂期を迎えた。折しも、ビザンツ帝国に征服されたブルガリアの聖職者が多数亡命してスラヴ語典礼を伝えたことは、キエフ公国のキリスト教化に大きな役割を果たすことになった。だが、繁栄の陰で次第に諸公国の自立化傾向が強まり、それとともに農民の農奴化も進んだ。こうして大公権による公国統一は名目的なものとなり、ウラジーミル2世モノマフ(キエフ大公)(位:1113〜1125)の治世を最後に分裂状態は一層深まった。

参考 詳説世界史研究

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