エルナン・コルテス
エルナン・コルテス ©Public Domain

エルナン・コルテス

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エルナン・コルテス A.D.1485〜A.D.1547

スペインのコンキスタドール。1251年、メキシコのアステカ王国を征服、破壊した。人口20万を超える首都テノチティトランは、当時のヨーロッパのどの都市より大きく、巨大なピラミッド、水上に巡らされた道、黄金で埋めつくされた王宮と、美しい文化が栄えていた。今では「文明破壊」の象徴となっている。1世紀のうちにアステカ人の人口は9割が消失した。

エルナン・コルテス

神と間違われてアステカ攻略が成就

コロンブスが新大陸への道筋を開き、フェルディナンド・マゼランが世界一周。勢いに乗るスペインは、カトリック布教の名目で「征服者(コンキスタドール)」を送りこんだ。そのひとりが、アステカ王国を滅ぼした下級貴族出身のエルナン・コルテス。
キューバ征服・統治で力をつけたエルナン・コルテスは、キューバ総督の命を無視し、自前の兵を率いてユカタン半島へ渡った。反アステカ族の女性に近づいて攻撃部隊を編成、首都テノチティトランに入った。コルテスは、アステカ王モクテスマ2世に、神話上の肌の白い神ケツァルコアトルと勘違いされて、丁重に迎えられた。ところがキューバからの追討軍迎撃にコルテスがテノチティトランを空けたとき、スペイン兵らがアステカ人を虐殺する事件が起こり、アステカ人の大反乱に発展した。
態勢を整えたコルテスは、5万余の大軍でテノチティトランを攻略、アステカ王国を滅ぼすとともに文明を破壊した。インディオたちを古い因習から開放するという信念からの行為といわれるが、兵士は彼らを奴隷とし、強姦し、財宝を略奪した。
コルテスはメキシコ総督に任命されたが、悪政の批判を受け、免職となり帰国。アルジェリア探検などを行なったが、失脚後の復活はなかった。

アステカ王国とインカ帝国の滅びた背景に、天然痘の流行がある。免疫をもった西洋人たちに対し、免疫のない南米のインディオたちは次々倒れた。モクテスマ2世の後任クアウテモックも在位80日で死去した。
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近代ヨーロッパの成立

ヨーロッパ世界の拡大

新大陸の征服とコンキスタドール

アメリカ大陸のスペインの探検事業は16世紀前半、征服事業へと発展する。征服事業は征服者(コンキスタドール)と呼ばれる、勇敢でかつ残虐な男たちによって進められた。中央アメリカのパナマ地峡とその一帯の征服を行なったバスコ・ヌーニェス・デ・バルボア、メキシコを征服したエルナン・コルテス(1485〜1547)、ペルーを征服したフランシスコ・ピサロ(1470頃〜1541)らがその代表である。

エルナン・コルテス
スペインの貧しい貴族出のエルナン・コルテスはキューバ総督の命をうけ、メキシコを探検、1520年ベラクルス市を建設し、わずか400人ほどの部下を率いてテノチティトランに進撃し、計略でアステカ国王モンテスマ(モクテスマ2世)(1480頃〜1520)を捕らえ、これを占領した。一時、アステカ人の反撃で撤退するが、1521年この都市を再占領し、アステカ王国を滅ぼした。
新大陸の征服とコンキスタドールの活動
モクテスマ2世とコツテスの会見 ©Public Domain

アステカ王国の首都テノチティトランで皇帝モクテスマ2世(左に座っている人物)とスペイン人コルテス(右に座っている人物)が会見している。コルテスの背後にいるのは通訳をしているインディオ女性のマリンチェ。

近代ヨーロッパの成立年表

 イタリア・ルネサンス(14〜16世紀)
1450頃ヨハネス・グーテンベルク、活版印刷技術発明
1488バルトロメウ・ディアス、喜望峰到達
1492スペイン、グラナダを占領(レコンキスタ完了)
 クリフトファー・コロンブス、アメリカに到達
1494トルデシリャス条約(スペイン・ポルトガル)
1495レオナルド・ダ・ヴィンチ最後の晩餐」制作(〜1498頃)
1498ヴァスコ・ダ・ガマ、カリカットに到達
1517マルティン・ルター、九十五カ条の論題発表
1519フェルディナンド・マゼランの部下、世界周航(〜1521)
1521エルナン・コルテス、アステカ帝国征服
 イタリア戦争(第三次イタリア戦争 〜1526)
1524ドイツ農民戦争
1529オスマン軍の第一次ウィーン包囲
1533フランシスコ・ピサロ、ペルーのインカ帝国征服
1534国王至上法発布(イギリス国教会成立)
 イエズス会設立
1541ジャン・カルヴァン、ジュネーヴ市政掌握
1543ニコラウス・コペルニクス『天球回転論(地動説)』刊
1545トリエント公会議(〜1563)
 16世紀後半、価格革命おこる
1555アウクスブルクの和議(ルター派の信仰認められる)
1558エリザベス1世の即位(〜1603)
1559カトー・カンブレジ条約(イタリア戦争終結)
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メキシコシティ

コルテスがテノチティトランを訪れたのは1519年11月8日である。このときテノチティトランは20万人から30万人の人口を持ち、同時代のパリやコンスタンティノポリスと並ぶ世界有数の規模であったと考えられている。このときコルテスは神ケツァルコアトルの再来と信じられたため、ほとんど抵抗なくこの都市を征服することが出来た。コンキスタドーレスの中にはヴェネツィアやコンスタンティノポリスを訪れたことがある者もいたが、いままで訪れた都市の中ではテノチティトランが最も素晴らしいとみな証言している。

数ヶ月に渡る抵抗ののち、コルテスが部下とともにテノチティトランを征服したのは1521年8月13日である。街は完全に破壊され、切り出した石材を使ってその上にメキシコシティが築かれた。1913年、ソカロ広場から神殿の一部が発見されて掘り起こされ、野外博物館となっている。また、1978年にも神殿の跡地が発掘されてテンプロ・マヨール(大寺院)と命名され、同様に博物館となっている。しかし、都心なのでこれ以上の発掘は望めないのが現状である。

参考 Wikipedia

エルナン・コルテスが登場する作品

ウォリアーズ 歴史を動かした男たち コルテス-アステカの最後-

コルテス-アステカの最後-
ウォリアーズ 歴史を動かした男たち ©BBC Worldwide

コルテス-アステカの最後- ウォリアーズ 歴史を動かした男たち – 世界の歴史まっぷ

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