ガイウス・ユリウス・カエサル
ガイウス・ユリウス・カエサル立像(ニコラ・クストゥ作/ルーヴル美術館蔵)©Public Domain

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ガイウス・ユリウス・カエサル (Gaius Julius Caesar) ( B.C.100〜B.C.44)
平民派の政治家・軍人。第1回三頭政治を結成してコンスルとなり、さまざまな改革をおこなった。ガリア遠征時成功して権力基盤を固めた後、ポンペイウスを打倒。前44年終身ディクタトルとなって独裁権を握った。属州出身者の元老院入りを可能にし、カルタゴなどへの植民、ユリウス歴の採用など諸改革を実施したが、ブルートゥスらの共和主義者に暗殺された。『ガリア戦記』などの著作を残した。

ガイウス・ユリウス・カエサル

平民派の政治家・軍人。第1回三頭政治を結成してコンスルとなり、さまざまな改革をおこなった。ガリア遠征時成功して権力基盤を固めた後、ポンペイウスを打倒。前44年終身ディクタトルとなって独裁権を握った。属州出身者の元老院入りを可能にし、カルタゴなどへの植民、ユリウス歴の採用など諸改革を実施したが、ブルートゥスらの共和主義者に暗殺された。『ガリア戦記』などの著作を残した。

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予言された英雄の最後・悲劇の3月15日

内乱の一世紀
カエサル暗殺(ジャン=レオン・ジェローム画/ウォルターズ美術館蔵)

「不吉な夢を見ました。今日は出かけるのをおやめになっては」
紀元前44年3月15日の朝、カエサルの妻カルプルニアは、前夜見た悪夢に胸騒ぎを覚え、出かけようとする夫を引きとめた。家の屋根が崩れ落ち、梁が夫に突き刺さり、血まみれになって死んでしまうという悲惨な夢を見たのだった。
天に閃光が走ったり、夜中に不気味な音が響くなど、すでにカエサルの運命に対する不吉な占いが言い渡され、3月15日に気をつけろという暗示があった。

当日、カエサル自身も体調が優れず、外出にためらいがあった。だが、暗殺者の一味に巧みに誘き出され、討議の場である元老院に向かったのだった。
途中、陰謀を密告する者さえいたが、耳を貸さず議場に入っていく。すると人々が彼に近づき、いつの間にか周りを取り囲まれていた。そして彼らが一斉に牙をむいてカエサルに襲いかかったのだ。

刀で喉元や胸、腹を刺し、さらには殴る、蹴るの暴力に及んだ。彼は頭から着衣を被って体を隠すが、万事休す。アジアやガリア、エジプトと、各地を股にかけて戦い、死の危険を乗り越えてきたカエサルだったが、全身23か所を指され、息絶えたのだった。

海賊に拿捕だほ:修辞学を学ぶためにギリシアに向かう途中、若きカエサルはキリキアの海賊に捕らえられ、40日間拘留された。海賊は身代金20タレントを要求したが、カエサルは「20では安すぎる、50タレントを要求しろ」と海賊に言い放ったという。

独裁官カエサルが築いた新しいローマの礎

紀元前70年代、内憂外患に悩むローマは、権力闘争に明け暮れ混乱状態に陥っていた。
才知に長け行動力あふれるカエサルは、政治の世界に飛び込み、順調に出世いを遂げていく。ガリア征服を成し遂げ敵将グナエウス・ポンペイウスを破ったカエサルの前に立ちはだかる者はもう誰もいなかった。
カエサル 元老院
ローマ共和制のしくみ

紀元前44年2月、春祭りルペルカリアの席で、民衆を前に、玉座に座るカエサルに、王冠が授けられようとしていた。だが冠をいただく直前、カエサルはとっさに拒否する。王権への渇望はあるものの、長年、共和政が続いてきたローマにあって、人々はカエサルが王となることに納得しないだろうと、判断したのだった。だがその2年前の紀元前46年、すでにカエサルは任期10年でローマの独裁官に選ばれ、実質的なローマ皇帝の地位を得ていた。

そんな彼に対して、保守的な元老院議員や有力貴族たちが面白く思うはずがない。貧しい者たちに土地を分配して庶民を味方につけ、大々的に国家の改革をおこなおうとするカエサルのやり方に反感を抱いた。元老院の権限は縮小され、自分たちの立場が危うくなるのではないかと、危機感を募らせていく。

「ブルートゥス、お前もか」裏切られた信頼

ガイウス・ユリウス・カエサル
ユリウス・カエサルはポンペイウス劇場の元老院議事堂で暗殺された(カムッチーニ画)©Public Domain

18世紀にイタリア人の画家ヴィンチェンツォ・カムッチーニによって描かれた「カエサルの暗殺」。皮肉なことに、彼が殺されたのは、ポンペイウスの像の下だった。

暗殺の首謀者の一人マルクス・ブルートゥスは、カエサルの長年の愛人セルウィリアの子供で、彼の息子ではないかもと噂されていた。いわば、彼が強い信頼を寄せ、息子のように目をかけていた人物が、暗殺のリーダーであった。「ブルートゥス、お前もか」最後にカエサルが、こういったのも無理もなかろう。

ローマ市民から絶大な支持を得たカエサルだったが、身近な者たちに裏切られたのだ。それはひとえに、英雄カエサルに対する妬みや警戒心のなせる技であった。「カエサルは、自分が王になりたいという野望を抱いている」
彼の野心によってローマの共和政が崩れるのではないかと危惧した者たち約60人が、暗殺に手を下したのだった。生前に「思いがけない死、突然の死こそ望ましい」と述べていたカエサルは、理想どうりの最後を遂げた。

さいは投げられた:紀元前49年、軍を率いてローマに入ってはいけないという「元老院最終勧告」を無視して、イタリアの北の国境ルビコン川を軍隊とともに渡ることは、国法に反した。だがもう後戻りできない。部下を従えたカエサルは、ローマへ進軍したときに放った言葉。
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カエサル年表

  • 紀元前100年頃 – ローマで生まれる。
  • 紀元前82年 – スッラがローマへ侵攻。カエサル、キリキアへ逃れる。
  • 紀元前78年 – スッラ死去。カエサル、ローマへ帰還。
  • 紀元前69年 – クァエストルに選出され、ヒスパニアへ赴任する。
  • 紀元前65年 – アエディリスに選出。
  • 紀元前63年 – 最高神祇官選挙で対立候補を破って当選。カティリナ事件。
  • 紀元前62年 – プラエトルに選出。
  • 紀元前61年 – プラプラエトル格でヒスパニア総督に選出。
  • 紀元前59年 – コンスルに選出(同僚はマルクス・カルプルニウス・ビブルス)。三頭政治の開始。
  • 紀元前58年 – プロコンスル格でガリア地区の総督に選出。ガリア戦争が勃発(紀元前51年まで)。
  • 紀元前56年 – ルッカ会談。
  • 紀元前53年 – クラッスス戦死、三頭政治が事実上崩壊。
  • 紀元前52年 – アレシアの戦い。
  • 紀元前49年 – ルビコン渡河。ローマ内戦の開始。
  • 紀元前48年 – ファルサルスの戦い。ポンペイウス、エジプトで殺害。
  • 紀元前46年 – タプススの戦い。初の凱旋式、10年期限のディクタトル(独裁官)に選出。
  • 紀元前45年 – ムンダの戦い。ローマ内戦が事実上終結。終身独裁官に選出。
  • 紀元前44年 – ローマ元老院議場内で暗殺。

ローマ共和政末期の政治家,将軍。

若年のときから軍務で名を挙げ,民衆派に属し,前68年財務官(クアエストル),前65年按察官(アエディリス),前63年大神官(終身),前62年法務官(プラエトル)などを歴任。
前60年,ポンペイウス,クラッススと第1次三頭政治を結成,前59年に執政官(コンスル)として政治,社会改革を行う。
前58年から前50年までガリア総督として諸部族を討ってこの地を平定し,アルプスの北をローマの版図に繰り入れた(ガリア遠征)。
元老院の保守派と対立,前49年1月から内乱に突入し,地中海世界各地を歴戦のすえこれを撃破し,独裁官(ディクタトル)となる。
世界帝国的な視野のもと,社会的,政治的な改革を実行したが,共和政的な伝統を踏みにじるものとして,ブルートゥス一派に前44年3月15日暗殺された。
雄弁家,文人としても第1級。その作品『ガリア戦記』『内乱誌』などが現存する。

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ローマ帝国領土

ローマ帝国 同盟市戦争 パクス=ロマーナ 共和政ローマ ポエニ戦争 共和政ローマ(身分闘争) ローマの発展 6.ローマの成立と発展 ローマ帝国 ローマの領土拡大地図 ©世界の歴史まっぷ
ローマの領土拡大地図©世界の歴史まっぷ

ガリア戦争

カエサル
アレシアの戦いにて、カエサル(赤いトガをまとう人物)の軍門に下り、勝者の足元に武器を投げ捨てるウェルキンゲトリクス (リオネル・ロワイヤル画/クロザティエ博物館蔵)©Public domain

紀元前58年、コンスルの任期を終えたカエサルは前執政官(プロコンスル)の資格で以てガリア・キサルピナ及びガリア・トランサルピナ等の属州総督に就任した。
ヘルウェティイ族がローマ属州を通過したい旨の要求を拒否したことを皮切りに、ガリア人とのガリア戦争へ踏み出すこととなった。
ヘルウェティイ族を抑えた後、ガリア人の依頼を受けてゲルマニア人のアリオウィストゥスとの戦い(ウォセグスの戦い)に勝ち、翌年にはガリアの北東部に住むベルガエ人諸部族を制圧した(サビス川の戦い)。

その間の紀元前56年にはルッカでポンペイウス、クラッススと会談を行い、紀元前55年にポンペイウスとクラッススが執政官に選出され、カエサルのガリア総督としての任期が5年延長されることが決定した。また、同年にゲルマニアに侵攻してゲルマニア人のガリア進出を退け、ライン川防衛線(リーメス)の端緒を築いた。紀元前55年及び54年の2度にわたってブリタンニア遠征も実施した。

最大の戦いは紀元前52年、アルウェルニ族の族長ウェルキンゲトリクスとの戦いであり、この時はほとんどのガリアの部族が敵対したが、カエサルはアレシアの戦いでこれを下した。これらの遠征により、カエサルはガリア全土をローマ属州とした。カエサルはガリア戦争の一連の経緯を『ガリア戦記』として著した。

カエサルはこの戦争でガリア人から多数の勝利を得、ローマでの名声を大いに高めた。彼は「新兵は新軍団を構成し、既設の軍団には新兵を補充しない」という方針を採ったため、長期間の遠征に従事した軍団は兵数が定員を割っていたが、代わりに統率の取れた精強な部隊になった。軍団兵には、ローマにではなくカエサル個人に対し、忠誠心を抱く者も多かったといわれる。これらのガリア征服を通して蓄えられた実力は、カエサルが内戦を引き起こす際の後ろ盾となったのみならず、ローマの元老院派のカエサルに対する警戒心をより強くさせ、元老院派の側からも内乱を誘発させかねない強硬策を取らせることとなった。

ガリア戦記

ガイウス・ユリウス・カエサルが自らの手で書き記した、「ガリア戦争」の遠征記録である。続篇として、ルビコン渡河以降の「ローマ内戦」を記録した『内乱記』がある。
指揮官カエサル自らが書いた本書は、もともとは元老院への戦況報告の体裁を取っていたと考えられ、文中において自己に言及するときは「カエサル」もしくは三人称で書かれていることが特徴である。また文中の所々にガリア人・ゲルマン人の風俗についての記述がある。

構成

本書は全8巻からなり、紀元前58年から同51年にかけて8年間にわたるガリア、ゲルマニア、ブリタンニアへの遠征について記述している。なお、第8巻のみカエサルでは無く、カエサルと同時代のアウルス・ヒルティウスが執筆している。

  • 第1巻(紀元前58年) – ヘルウェティイ族との戦闘、アリオウィストゥス率いるゲルマニア人との戦い
  • 第2巻(紀元前57年) – ガリア北東部(ベルガエ人たちの居住地)への遠征
  • 第3巻(紀元前56年) – 大西洋岸諸部族との戦争
  • 第4巻(紀元前55年) – 第一次ゲルマニア遠征、第一次ブリタンニア遠征
  • 第5巻(紀元前54年) – 第二次ブリタンニア遠征、ガリア遠征初の大敗
  • 第6巻(紀元前53年) – 第二次ゲルマニア遠征
  • 第7巻(紀元前52年) – ウェルキンゲトリクス率いるガリア人の大反攻、アレシアの戦い
  • 第8巻(紀元前51年) – 戦後処理。本巻のみアウルス・ヒルティウスの著
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ディウウス・カエサル神殿

ディウウス・カエサル神殿は、紀元前29年8月29日に、アクティウムの海戦に勝利したオクタウィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)が神君カエサルを記念して建てたプロスタイル式(前柱廊下式)の神殿。日本語で神君カエサル神殿と表記されることもある。フォルム(中央の広場)の東に面しており、レギア、カストルとポルックス神殿、バシリカ・アエミリアに囲まれた場所にあり、カエサルの遺体が火葬された場所に建てられている。神殿の一段上がったところはロストラ(演壇)が作られており、アクティウムの海戦で捕縛した船の船首で飾られていたという。この神殿はまた、カエサルの死後(の紀元前44年)に出現した彗星を祀るものでもあり、この彗星はカエサルの魂であるとも、初代ローマ皇帝アウグストゥスの出現を表すものとも言われていた。世界遺産「ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂」に登録されている

ディウウス・カエサル神殿 – 世界の歴史まっぷ

世界遺産「ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂」

ユリウス・クラウディウス朝家系図

カエサルの妹・小ユリアの子孫からローマ帝国皇帝・アウグストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロが生まれる。

ガイウス・ユリウス・カエサル

カエサルが登場する作品

ザ・ローマ帝国の興亡 第2話 シーザー

ザ・ローマ帝国の興亡 第二話 カエサル
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ROME[ローマ]

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スパルタカス

スパルタカス ティベリウス・グラックス
スパルタカス (映画) Source: NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
  • スパルタカス あらすじと登場人物 – 世界の歴史まっぷ
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子女

カエサルには多くの愛人がいたが、ただし記録にある限り、子宝にはほとんど恵まれなかった。

最初の妻・コルネリア ルキウス・コルネリウス・キンナの娘。

  • ユリア(ガイウス・ユリウス・カエサルの娘) グナエウス・ポンペイウスと結婚、紀元前54年死去

クレオパトラ7世 プトレマイオス朝エジプトのファラオ

  • カエサリオン (諸説あり)
  • クレオパトラ 紀元前44年〜 血筋は少なくとも16世紀まで存続。
同義語
カエサル

同時代の人物

倭のクニ

中国の歴史書によると、1世紀中頃の日本は「倭のクニ」、日本人は「倭人」と呼ばれていた。北九州を中心とした西日本に、100余りの小国に分かれ、中国とかかわりをもっていた。

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