コンキスタドール
スペイン語で「征服者」を意味する。とくに新大陸征服者、すなわち16世紀前葉に南北アメリカ大陸を征服したスペイン人を指す。彼らは征服によって新しい領土を獲得し、黄金・財宝を貪欲に探し求めたが、同時に偶像崇拝、人身御供などを伴う“邪教”を絶滅し、キリスト教を未知の世界の人びとへ伝えるという使命感をも持っていた。彼らは現世的利益への渇望と福音伝道の熱意とを同時に持ち合わせていたのである。その背景には、キリスト教徒のスペイン人が約8世紀にわたってイスラム教徒を相手にレコンキスタ(国土回復戦争)を戦ってきた歴史のあることを見逃すことはできない。
参考 世界大百科事典 第2版
コンキスタドール
メキシコのアステカ王国を征服したエルナン・コルテス、南アメリカ大陸のインカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロに代表される。武装したスペイン人兵士を引き連れて新大陸に侵入し、優越した火砲と騎兵を用い、あるいは部族間の対立を利用してインディオの抵抗を抑え、虐殺など非道な手段をもとりながら、征服活動を展開した。それはキリスト教の信仰を広げるという大義名分のもとで行われたが、その結果、ラテンアメリカのインディオの文明は破壊され、その人口を急激に減少させることになった。同時に、本国スペインに新大陸の金など莫大な富をもたらした。
近代ヨーロッパの成立
ヨーロッパ世界の拡大
新大陸の征服とコンキスタドールの活動
アメリカ大陸のスペインの探検事業は16世紀前半、征服事業へと発展する。征服事業は征服者(コンキスタドール)と呼ばれる、勇敢でかつ残虐な男たちによって進められた。中央アメリカのパナマ地峡とその一帯の征服を行なったバスコ・バルボア、メキシコを征服したエルナン・コルテス、ペルーを征服したフランシスコ・ピサロらがその代表である。
スペインの貧しい貴族出のエルナン・コルテスはキューバ総督の命をうけ、メキシコを探検、1520年ベラクルス市を建設し、わずか400人ほどの部下を率いてテノチティトランに進撃し、計略でアステカ王国モクテスマ2世を捕らえ、これを占領した。一時、アステカ人の反撃で撤退するが、1521年この都市を再占領し、アステカ王国を滅ぼした。
バルボアに仕えた士官であり、勇気・決断力・無慈悲さを兼ね備えていたピサロは同僚のあるマグロとともに、1524年からペルーの予備的な探検をおこない、1532年、27頭の馬と180の歩兵を率いて、インカ征服の遠征をおこなった。彼はインカ帝国の内紛を利用して、皇帝アタワルパを捕らえて処刑し、1533年、帝国を征服した。1537年には現在のコロンビアを中心とする新グラナダも征服され、スペインは中南米に広大な植民地を有することになった。