ジロラモ・サヴォナローラ
ジロラモ・サヴォナローラ像(部分)(フラ・バルトロメオ画/サン・マルコ美術館蔵)©Public Domain

ジロラモ・サヴォナローラ


ジロラモ・サヴォナローラ( A.D.1452〜A.D.1498)

フィレンツェ共和国のドミニコ会修道士。支配階級メディチ家の退廃ぶりを鋭く糾弾し、一時は市民の人気を得てメディチ家を追放し、神権政治を断行した。ローマ教皇の堕落を強く非難して破門され、厳しい禁欲生活を強要したため市民の支持も失い、異端者として処刑される。

ジロラモ・サヴォナローラ

預言者的説教で人心を集めた修道士

フィレンツェのドミニコ会修道士。教会の堕落と支配階級メディチ家の退廃ぶりを鋭く糾弾。預言者的な言動から市民の人気を得て、神権政治を断行する。だがアレクサンデル6世(ローマ教皇)を強く非難したため、破門され、市民の支持も失い、異端者として処刑される。

ジロラモ・サヴォナローラ
1498年フィレンツェのシニョーリア広場のサヴォナローラ処刑(作者不詳/サン・マルコ美術館蔵)©Public Domain

メディチ家をフィレンツェから追放し、人心をつかんだサヴォナローラだったが、厳しい禁欲生活を強要したため、最後は火刑に。図はフィレンツェのシニョーリア広場の様子を描いた作品。皮肉なことにこの広場は、以前彼が市民を堕落させるという理由で、フィレンツェ市民たちの贅沢品を焼き払った場所だった。

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のちに、フィレンツェでは共和制のシンボルとしてミケランジェロの代表作、ダヴィデ王像(ミケランジェロ)が造られる(1504年)が、1512年にはハプスブルク家の軍事的支援を受けたメディチ家がフィレンツェに復帰した。こうした社会の混乱でフィレンツェ社会の活力は失われ、ルネサンスは終息に向かっていった。

サンドロ・ボッティチェリ

フィレンツェの支配者メディチ家の庇護を受け、ギリシアやローマの神々を優美に表現したその精神は、ルネサンスそのものといえるだろう。
だが、晩年は一変する。フィレンツェとメディチ家の退廃を攻撃し、処刑された托鉢僧ジロラモ・サヴォナローラ。その影響を色濃く受けて、神秘主義的傾向に走るのだ。ダンテの「神曲」の挿画や、キリスト教の宗教画や聖人、聖女しか描かなくなり、作品からは大らかさが失われていく。ついには仕事も辞めてしまい、孤独のうちに亡くなった。

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ニッコロ・マキャヴェリ

フィレンツェの中流貴族出身のマキャヴェリは、イタリア・ルネサンス最盛期に青春時代を過ごした。だが彼が25歳のとき、芸術家たちのパトロンだったメディチ家が市から追放された(第一次イタリア戦争)。そして享楽に走る風潮を厳しく批判した修道士ジロラモ・サヴォナローラが神権政治を始めた。市の書記局に勤務したマキャヴェリは、外交使節となり、諸外国国王やローマ教皇らとの外交交渉を行った。しかしメディチ家政権が復活すると、マキャヴェリは郊外へ追放。ここで著作生活に入り、書き上げたのが著名な『君主論』である。

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近代ヨーロッパの成立

宗教改革

異端運動と宗教改革

教会の腐敗・堕落に対しては中世においてもいくつかの改革運動があり、その原因である聖職者の世俗化を否定し、教会の宗教性と精神的権威の維持をはかってきた。これらの教会改革運動は、信仰生活を実践するための新しい修道団などを創設したが、カトリック教会の権威や制度そのものを否定するものではなかった。

一方、聖書の教えに従うものでも、教皇の権威を否定し、教会が認める以外のかたちで救済をめざそうとする運動は異端として厳しく弾圧された。教会の腐敗を非難し、聖遺物の崇拝や化体説を否定した14世紀イギリス・オクスフォード大学のジョン・ウィクリフ、その説を奉じ教会を批判した15世紀プラハ大学のヤン・フス 教会勢力の衰微)、15世紀末フィレンツェにおいて改革をはかったジロラモ・サヴォナローラなどはいずれも異端とされた。これらの運動は成功をみなかったとはいえ、その精神において宗教改革の先駆的運動とみなすことができる。

異端運動と宗教改革 – 世界の歴史まっぷ

ジロラモ・サヴォナローラが登場する作品

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