テオティワカン
メキシコ・シティの北東約40kmにあるテオティワカンは、「神々の集う場所」という意味をもち、紀元前100年ごろから6世紀まで栄えた、メキシコ南部にある大都市。太陽と月のピラミッドや「死者の道」を中心に築かれた町には、下水網も整備され、当時の建築技術の高さがうかがわれる。
メキシコの世界遺産「古代都市テオティワカン」に登録されている。
テオティワカン
概要
テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる「死者の道」が基点となり各施設が配置されている。この都市で祀られた神々は、農業・文化と関係深いケツァルコアトルや水神トラロック、チャルチウィトリクエ、植物の再生と関係あるシペ・トテックなどである。
社会についてはあまり知られていないが、規模から考えると神権的な権威が存在し、高度に階層が分化し、発達した統治組織があったものと推測されている。市内には職人の地区が設けられ、盛んな商業と交易の中心地であり、農民たちの巡礼となって集まる信仰の中心地でもあった。
紀元前50年にテスココ湖の南方に立地したクィクィルコ(Cuicuilco)がシトレ火山(Xitle)の噴火によって埋まると急速に発展した。都市の面積は約20平方キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。しかしながら人口の集中に伴い下水道もその処理能力を超えるようになり、やがて旱魃等の災害により、治安が悪化して、7世紀頃から急激に衰退し、やがて滅びを迎えた。
テオティワカンとは、「神々の都市」という意味で、これは12世紀頃にこの地にやってきて、廃墟となっていた都市を発見した、メシカ人(アステカ人)が命名した。アステカ人はテオティワカンを後々まで崇拝の対象とした。
主な建造物
太陽のピラミッド
(高さ65 m、底辺222 m×225 m)
月のピラミッド
(高さ47 m、底辺140 m×150 m)
死者の道
(南北に貫く都市のメインストリート 長さ4 km、幅45 m)