ディオクレティアヌス
ディオクレティアヌス像 ©Public Domain

ディオクレティアヌス


ディオクレティアヌス Diocletianus ( A.D.245〜A.D.313)

ローマ帝国皇帝(在位284〜305 286年〜305年まで西方正帝マクシミアヌスと共同統治)。新たに帝国の四帝分治制(テトラルキア)を導入して経済と行政を立て直し、軍人皇帝時代に衰退したローマ帝国を再建、キリスト教を弾圧した。彼以後の帝政を専制君主政(ドミナトゥス)という。(テトラルキア時代)

ディオクレティアヌス

ドミナトゥスを開始したローマ皇帝(在位284〜305)。軍人皇帝時代の混乱を収拾し、中央集権的な官僚制を実施して徴税を強化した。また、軍隊を増強し、四帝分治制を開始して政治を安定させた。皇帝の権威を高めるため皇帝崇拝を強制し、キリスト教徒に対する大迫害をおこなった。

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テトラルキアを導入して帝国の基盤を強化

衰退するローマを再建するため、ガイウス・アウレリウス・ウァレリウス・ディオクレティアヌスは帝国の4分割という新たな統治システムをつくりあげた。東西に分割しそれぞれに正帝と副帝をたてた上で、全土を掌握する絶対君主制である。自分の都は東方ニコメディアにおき、オリエンタルな雰囲気漂う豪奢な宮廷に君臨。そして軍事力の強化と経済の立て直しを図り、ローマの再生に成功したのだった。

さらに、キリスト教徒を激しく迫害した。ローマ伝統の神々への信仰を強制し、キリスト教信者の大量殺戮や教会破壊、財産没収を進めたのだ。殉教者は3千人にものぼった。こうして専制君主ぶりを発揮したディオクレティアヌスは、21年の在位の末、305年、自ら退位。故郷スプリト(クロアチア)に豪奢な宮殿を建て、庭での畑仕事に励みながら余生を楽しんだ。だが中心人物のディオクレティアヌスがいなくなると各地で帝位争いがおこり、四帝分治制(テトラルキア)は早い段階で崩壊した。

隠居所:引退後の宮殿は、防衛システムが整った要塞のような堅固なつくり。皮肉なことに、今はキリスト教の大聖堂となっている。

略年表

  • 245年 ダルマティアに生まれる
  • 283年 皇帝警護隊長から皇帝に擁立される
  • 284年 皇帝に即位し改名
  • 293年 四帝分治制を開始
  • 301年 価格統制令を公布
  • 303年 キリスト教弾圧の勅令を公布
  • 305年 自らの意思で退位
  • 313年 ダルマティアで死去
ディオクレティアヌス宮殿
古代ローマ時代のディオクレティアヌス宮殿の想像図 ©Public Domain

ディオクレティアヌスが退位後に暮らすためにアドリア海に面する都市に建てた巨大で豪奢なディオクレティアヌス宮殿は、まるで軍事施設のよう。1977年に世界遺産に登録された。

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オリエントと地中海世界

ローマ世界

専制ローマ帝国

彼はユピテル神の体現者として統治し、皇帝の神的権威を強めた。市民は今や皇帝の臣民であり、皇帝の前に出るときは跪拝礼きはいれいを求められ、元老院の諮問会議も皇帝のまえで起立したままおこなわれた。ディオクレティアヌス帝はこのようにオリエント的専制支配に傾いていき、彼の時代以後は専制君主制(ドミナートゥス)と呼ばれる。彼は広大な帝国を効率よく統治するために2人の正帝・2人の副帝をおく四分統治世(テトラルキア)を採用し、帝国の行政区分をも再編成した。

全帝国を4つの道・12の管区・100余の属州に分け、それぞれ役人を送って統治させた。なお、ローマはもはや皇帝の住まう首都ではなくなっていた。

軍隊を増強し、帝国全土に均一な税制を定め、最高価格令を発して物価騰貴を抑えようとした。また官僚を増やして都市の自治への介入を強めた。ローマ伝統の宗教を統治の主柱としてキリスト教徒に対しては、「大迫害」を命じた。

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テトラルキアの皇帝一覧

ローマ帝国テトラルキア時代皇帝一覧

 西方 東方
正帝(皇帝)副帝首都長官正帝(皇帝)副帝
285年 - 293年マクシミアヌス
(オキシデント)
285年–305年
ディオクレティアヌス
(オリエント)
285年–305年
293年 - 305年コンスタンティウス・クロルス
(ガリア、ヒスパニア)
293年–305年
ガレリウス
(イリュリクム)
293年–305年
305年 - 306年コンスタンティウス・クロルス
(ガリア、ヒスパニア、ブリタンニア)
305年–306年
フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス
(イタリア本土、アフリカ)
305年–306年
ガレリウス
(イリュリクム)
305年–311年
マクシミヌス・ダイア
(オリエント)
305年–307年
306年 - 307年フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス
(イタリア本土、アフリカ)
306年–307年
コンスタンティヌス1世
(ガリア、ヒスパニア、ブリタニア)
306年–307年
マクセンティウス
(ローマ)
307年
307年 - 313年コンスタンティヌス1世
(ガリア、ヒスパニア、ブリタニア)
307年
マクセンティウス
(イタリア)
307年–312年
リキニウス
(トラキア、ポントゥス)
308年
マクシミアヌス
(イタリア)
307年–310年
マクシミヌス・ダイア
(オリエント)
310年–313年
マクシミヌス・ダイア
(オリエント)
307年–310年
313年 - 324年コンスタンティヌス1世
(オキシデント)
313年–324年
バシアヌス
(イタリア)
313年–314年
リキニウス
(オリエント)
313年–324年
ウァレリウス・バレンス
(イリュリクム)
314–316年
クリスプス
(オキシデント)
317年–326年
マルティニアヌス
(オリエント)
324年
小リキニウス
(オリエント)
317年–324年
324年コンスタンティヌス1世
参考Wikipedia

同時代の人物

漢字・儒教の伝来

5世紀、大陸の進んだ文化が日本に伝来。日本へ移住して帰化する人も多かった。彼らは中国の文字である漢字や、宗教の儒教を伝えた。朝廷の記録などに漢字が使われた。

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