ウィーン体制の動揺 デカブリスト
デカブリストの反乱(Vasily Timm 画/エルミタージュ美術館蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

デカブリスト


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デカブリスト Dekabrist (1825)

ナポレオン軍に対する解放戦争に参加し西欧の自由主義にふれたロシアの青年貴族士官の多くが、反動政府に不満を持ち秘密結社を作り、ニコライ1世即位の日に蜂起(デカブリストの反乱)。ロシア語の12月(デカープリ)から参加者はデカブリスト(十二月党員)と呼ばれた。

デカブリスト

ロシア青年貴族士官たちが、1825年12月におこした蜂起。ロシア語の12月(デカープリ)から、蜂起参加者はデカブリストと呼ばれた。ナポレオン軍に対する解放戦争に加わり、西欧の自由主義にふれた貴族の青年士官の多くが、帰国後、反動政府に不満を持ち秘密結社を作った。新皇帝ニコライ1世即位の日に専制打倒や農奴制解体を掲げて集会を開いたが、鎮圧された。

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欧米における近代国民国家の発展

ウィーン体制

ウィーン体制の動揺
ウィーン体制下のヨーロッパ地図
ウィーン体制下のヨーロッパ地図 ©世界の歴史まっぷ

ウィーン体制は、ナポレオンによって高揚されたナショナリズム運動や自由主義運動を抑圧するものであったため、各地で抵抗運動がおきた。ロシアでは反動的なニコライ1世 Nikolai I (位1825〜55)の即位に反対してデカブリスト Dekabrist による反乱がおきたが、短期間に鎮圧された(デカブリストの反乱)。1820年までのこうしたヨーロッパの自由主義・国民主義運動は、ことごとくウィーン体制のまえに屈服した。

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