トラヤヌス (A.D.53〜A.D.117) ローマ帝国ネルウァ=アントニヌス朝第2代皇帝(在位98年1月27日 - 117年8月8日)。初の属州(ヒスパニア)生まれの皇帝で五賢帝のひとり。ローマ帝国最大版図を現出。元老院から「最善の元首」の称号を得る。
トラヤヌス
版図を拡大した偉大な征服者
即位のため、遠征先のゲルマニアからローマに帰還時、トラヤヌスは徒歩で人々の前に現れた。44歳の男盛り。長身の上、歴戦で鍛えたたくましい肉体と高貴な容貌の意気揚々とした新皇帝を、民衆は熱狂して迎えた。優れた軍人の彼は、積極的な対外政策で帝国の領域を拡大。元老院から「最善の元首」の称号を得た。
手前は、トラヤヌス広場の跡地。奥の半円状の建物は、トラヤヌス市場で、下層階は食料雑貨やワイン、油などの商店で賑わっていた。
建築物:トラヤヌスが建築した建物は、ほとんどがお抱えの建築家ダマスクスのアポロドロスに任されている。トラヤヌスの記念柱, トラヤヌスのトロフィー, トラヤヌスのフォルム, トラヤヌス市場, トラヤヌス浴場
参考
オリエントと地中海世界
ローマ世界
ローマ帝国へ
ネルウァ=アントニヌス朝トラヤヌス(ローマ皇帝)のときにドナウ川の向こう岸のダキアを属州として、帝国の領土は最大となった(ダキア戦争)。古代オリエント世界
バクトリアとパルティア
パルティアにとって最大の敵となったのは、東方進出をはかるローマであった。紀元前1世紀にセレウコス朝を倒したローマのさらなる東進を阻止するため、パルティアもシリアに進出した。紀元前53年には共和制ローマの三頭政治家のひとりマルクス・リキニウス・クラッススを敗死させた。 しかし2世紀の初頭にはトラヤヌス帝(ネルウァ=アントニヌス朝)の率いるローマ軍がクテシフォンを占領し、ペルシア湾頭にまで達した(パルティア戦争)。その後両国間には一進一退の小競り合いが続いたが、パルティアの国力はしだいに衰退し、ついに224年、ササン朝によって滅ぼされた。 バクトリアとパルティア – 世界の歴史まっぷ参考
詳説世界史研究