イリ条約 露清北京条約 キャフタ条約 ロシアの東方進出 ネルチンスク条約
ロシアの東方進出地図 ©世界の歴史まっぷ

ネルチンスク条約


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ネルチンスク条約 Nerchinsk A.D.1689〜
ロシア・清朝間の国境画定条約。ロシア人が黒滝江周辺に進出したことによる両国間での紛争頻発が背景にあり、国境をアルグン川およびスタノヴォイ山脈(外興安嶺)と定め、交易・越境者の処理について規定した。ロシアがピョートル1世、清朝が康熙帝の時代で、清が外国と結んだ初の対等条約でもあった。

ネルチンスク条約

  • 清とロシアが結んだ国境画定条約。康熙帝とピョートル1世の治世下に結ばれ、国境を清に有利なアルグン川とスタノヴォイ山脈(外興安嶺)とし、通商や不法越境者の処罰を規定した。中国が初めて外国と対等な形式で結んだ条約であったが、清朝は理藩院に外交を担当させ、ロシアを朝貢国のひとつに位置付けた。
  • ロシア・清朝間の国境画定条約。ロシア人が黒滝江周辺に進出したことによる両国間での紛争頻発が背景にあり、国境をアルグン川およびスタノヴォイ山脈(外興安嶺)と定め、交易・越境者の処理について規定した。ロシアがピョートル1世、清朝が康熙帝の時代で、清が外国と結んだ初の対等条約でもあった。
  • ロシアのピョートル1世と清の康熙帝が結んだ条約。アルグン川と外興安嶺を両国の国境と定めた。清がヨーロッパの国家と対等の立場で結んだ初めての条約であった。
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アジア諸地域の繁栄

清代の中国と隣接諸地域

清朝支配の拡大

康熙帝・雍正帝乾隆帝の約130年間が清の最盛期であり、この時期にその領土は最大限に達していた。領土の拡張を推し進めていった清は、北方地域において、当時東進してきた帝政ロシア(ロシア・ツァーリ国)と衝突した。海外植民地をもつことのできなかったロシアは、16世紀後半から東方のシベリア地域の開発に積極的に取り組み、植民などをおこなっていた。17世紀前半にはオホーツク海に達し、1643年には黒龍江(アムール川)沿いに進出した。清はロシアの前進基地を破壊したが、両者の戦いは断続的に行なわれていた。

清の領域地図
清の領域地図 ©世界の歴史まっぷ

三藩の乱を平定した康熙帝は、1689年、ピョートル1世(ロシア皇帝)との間にネルチンスク条約を結び、両国の国境をスタノヴォイ山脈(外興安嶺そとこうあんれい)とアルグン川の線と定め、国境貿易などを取り決めた。これは清が外国と対等に締結した最初の条約で、中国東北地方全域を確保し、ロシアの南下を阻止した。

ヨーロッパ主権国家体制の展開

危機の時代の主権国家

ロシアの台頭

17世紀末に即位したピョートル1世(ピョートル大帝 位1682〜1725)は、武器の製造技術、造船技術など西欧の科学や技術を熱心に導入し、内政改革、とくに軍備の強化、税制の改革、産業の振興に努めた。他方では、農奴制をいっそう強固にしたので、皇帝権はますます強化された。対外的には、オスマン帝国に対抗する同盟関係を推進し、シベリア経営をさらに進め、1689年には清朝とネルチンスク条約を結んで、黒竜江の北の外興安嶺とアルグン川を結ぶ線に国境を画定し、通商を拡大した。

アジア諸地域の動揺

東アジアの激動

ロシアの東方進出

ロシアの東方進出

1689ネルチンスク条約ピョートル1世(露)康熙帝(清)
1727キャフタ条約ピョートル2世(露)雍正帝(清)
1828トルコマンチャーイ条約ニコライ1世(露)ファトフ・アリー・シャー(カージャール朝
1858アイグン条約ニコライ1世(露)咸豊帝(清)
1860露清北京条約アレクサンドル2世(露)咸豊帝(清)
1881イリ条約アレクサンドル2世(露)光緒帝(清)
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16世紀後半、イヴァン4世時代のイェルマークによるシベリア探検( ロシアの台頭)以来、ロシアは毛皮などを求めてシベリアを東進し、バイカル湖畔のイルクーツク Irkutsk (1652)など拠点となる都市を建設しつつ、17世紀前半には太平洋岸に達した。ロシアはさらにシベリアから南下して、黒竜江こくりゅうこう(アムール川 Amur )方面への進出をはかったため、黒竜江以北からモンゴル高原にかけてを領土の北端とする清朝と衝突することとなった。このため両国は1689年ピョートル1世(大帝)と康熙帝のときにネルチンスク条約 Nerchinsk を結び、スタノヴォイ山脈(外興安嶺そとこうあんれい)からアルグン川を両国の国境線と定め、黒竜江流域は清の領土とすることを確認した。しかし、この条約では、モンゴル方面での両国の国境が定められておらず、また貿易問題についての解決も必要であったため、1727年、ピョートル2世雍正帝のときにキャフタ条約を結び、アングン川よりアルタイ山脈にいたるモンゴル方面での国境線を取り決めるとともに、国境をはさむキャフタ(ロシア側)と買売城マイマイチェン(清側)に交易場を設けて、両国間の貿易をおこなうことなどを定めた。

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