ノルマン朝 (A.D.1066〜A.D.1154)前:七王国、後:プランタジネット朝 ノルマン人のノルマンディー公ギヨーム2世が、アングロ・サクソン人の支配下にあったイングランド王国を征服(ノルマン・コンクエスト)し、ウィリアム1世(征服王)として即位したことによって成立したイングランド王国の王朝。征服王朝のため、当初から国王による権力集中が完成していた。ノルマン朝の血筋はその後のイングランド諸王家にも受け継がれている。首都: ロンドン。
ノルマン朝
ヨーロッパ世界の形成と発展

西ヨーロッパ世界の成立
ヴァイキングの活動
1066年、ウェセックス朝のサクソン系エドワード懺悔王が没すると、義弟のウェセックス伯ハロルドが王を称し(ハロルド2世(イングランド王))、おりから大軍を率いて北部の要衝ヨークに侵入したハラール3世(ノルウェー王)と戦い、これを撃破した。
イングランド王エドワード懺悔王の使者としてノルマンディー公のもとに向かうハロルド2世。バイユーのタペストリーの一場面 ©Public Domain
西ヨーロッパ中世世界の変容
イギリスの封建社会と身分制議会
イギリスの封建社会はノルマン朝において確立された。ウィリアム1世(イングランド王)は、征服の過程で土着のアングロ・サクソン貴族の土地を没収し、配下のノルマン貴族らに騎士的奉仕の代償として授封した。そして、1085年より1年がかりで全国規模の検地を実地し(この検地帳がドゥームズデイ・ブック)、王権を強化した。それは、フランスなどとくらべてもきわめて集権的な封建国家の成立を意味した。
ドゥームズデイ・ブック:domesday (doomsday) とは「最後の審判 the Last Judgement の日」の意味であり、測量調査の厳正ぶりを「最後の審判」にたとえて、こう呼ばれるようになった。
参考
歴代王
- ウィリアム1世(イングランド王) (1066年〜1087年)
- ウィリアム2世(イングランド王) (1087年〜1100年)
- ヘンリー1世(イングランド王) (1100年〜1135年)