大月氏国 冒頓単于 スキタイと匈奴 漢の興起 月氏 バクトリア王国 パルティア 紀元前2世紀後半の世界地図
紀元前2世紀後半の世界地図 ©世界の歴史まっぷ
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バクトリア Bactria 約 B.C.255〜B.C.139

ギリシア人サトラップのディオドトスが、セレウコス朝から独立して、アム川流域に建てた国家。都はバルフ。大月氏の攻撃により滅ぼされた。

バクトリア

ギリシア人サトラップのディオドトスが、セレウコス朝から独立して、アム川流域に建てた国家。都はバルフ。大月氏の攻撃により滅ぼされた。

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オリエントと地中海世界

パルティア
オリエントと地中海世界 ©世界の歴史まっぷ

古代オリエント世界

バクトリアとパルティア
属州時代

ザグロス山脈の東方、アフガニスタンにいたる広大な地域は、イラン系民族の居住地であった。この地域の大部分は高原性台地であるが、砂漠もあれば、農耕を可能にする降雨や水流がえられる地方もあった。このような自然条件に対応して、住民は地域により農耕遊牧で生計を立ててきた。アケメネス朝(紀元前550〜紀元前330)のもとでは属州に編成されて発展したが、紀元前4世紀後半にアレクサンドロス3世に征服され、その死後はセレウコス朝(紀元前312年〜紀元前63年)の支配下におかれた。セレウコス朝は当初バクトリアからアナトリアやシリアまでを領域とし、都市化政策を推進した。イラン地方にも都市建設をおこない、多数のギリシア人を入植させた。しかしやがてセレウコス朝の支配が低下するのにともない、各地の有力家系が王朝をきずいて独立した。

アンティゴノス朝マケドニア 3.イラン文明 バクトリアとパルティア アッタロス朝 ポントス 紀元前200年頃の西アジア地図
紀元前200年頃の西アジア地図 ©世界の歴史まっぷ
バクトリア王国

もっとも早く離反したのはアム川上流域のバクトリアで、紀元前3世紀半ばにギリシア人総督が独立してバクトリア王国(紀元前255年〜紀元前139年)をたてた。その後バクトリア王国は、マウリヤ朝の衰退に乗じてインダス川流域のインド北西部にまで勢力をのばしたが、内紛がおこり、また西方のパルティアや北方のスキタイ系遊牧民に圧迫されて弱体化し、紀元前139年にはトハラ人によって滅ぼされた。この王国はギリシア人がたてた国であったため、ヘレニズム文化が栄えた。その文化はのちのクシャーナ朝に大きな影響を与え、ガンダーラ美術を生み出すことになった。

トハラ人はスキタイ系遊牧民の一派。バクトリア王国を倒したが、紀元前1世紀には大月氏に支配された。中国史料に現れる大夏ではないかといわれる。
大月氏国 冒頓単于 スキタイと匈奴 漢の興起 月氏 バクトリア王国 パルティア 紀元前2世紀後半の世界地図
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アジア・アメリカの古代文明

インドの古代文明

西北インドの情勢

西北インドでは、マウリヤ朝崩壊後に中央アジア方面からの異民族の侵入が相次いだ。まず到来したのはバクトリア王国のギリシア人で、紀元前2世紀初めから侵入を開始し、同世紀の後半に本国バクトリアの領土を失うと、パンジャーブ地方に本拠地を移した。ギリシア人の諸王のなかでは紀元前150年ころにでたメナンドロス1世が名高い。仏教文献の『ミリンダ王の問い』によると、この王はギリシア的信仰を捨て仏教の信者になったという。

紀元前1世紀に入りギリシア人勢力が衰えたころ、新たに中央アジア系の遊牧民であるサカ族(インド・スキタイ族)とパルティア族の侵入が相次ぎ、さらに1世紀の後半にはクシャーナ族が南下して西北インドを支配下においた。

内陸アジア世界の変遷

遊牧民とオアシス民の活動

東西を結ぶ交通路
内陸アジアの変遷
内陸アジア世界の変遷 ©世界の歴史まっぷ

ユーラシア大陸の東西を結ぶ交通路は紀元前から存在した。そのうちのひとつは、中央アジアのオアシスを相互に結びつけて形成されたものであり、東アジアとインド・西アジア・ヨーロッパを結ぶ幹線であった。この幹線上に古くから多くの国々が興亡した。紀元前3世紀中ごろ、アム川上流の南岸にギリシア人が建国したバクトリア、その滅亡後、同じ地域に拠った大月氏、シル川上流に位置したフェルガナ(大宛)の勢力などがその例である。

バクトリア:中央アジアのアム川流域に自立した国。ヘレニズム文化の中心地でもあった。

オアシスの住民は、周辺の遊牧民や地地域の農耕民と商業活動によって、必需品を手に入れる必要があり、その商業は、やがて大規模な隊商を組んだ交易に発展した。中央アジアは、中国、インドとヨーロッパ、西アジアなどを結ぶ交通路の大部分を占めていたため、この地の隊商貿易(キャラバン)は莫大な利益をもたらした。このためオアシス都市は繁栄することになった。このような経過で、早くから大きなオアシス国家を形成したのがバクトリアで、ここにはアレクサンドロス3世の遠征以後、ギリシア人が数多く移住した。その後、この地域に移動してきたのが大月氏である。

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遺跡

バクトリア
タフテ・ソレイマーン

首都のバクトラは現在のバルフに比定されている。現在、バルフは人口数百の小さな村落にすぎないが、村の近くには城壁に囲まれた巨大な廃墟がある。多くの西洋学者はこの遺跡をバクトラに比定し、しばしば発掘を試みたが、今までのところバクトラに比定すべき証拠は発見されていない。一説には現在のバルフは古代のバクトラではなく、バクトラはもっとアム川に近いところにあったともいわれている。しかし、バルフの付近には古代ゾロアスター教の祭壇の遺跡もあり、バクトリアの貨幣も多く出土している。

タフテ・ソレイマーン

イラン・西アーザルバーイジャーン州のタカブの近郊にあるゾロアスター教及びサーサーン朝の聖地。2003年7月3日、ユネスコの世界遺産に登録された。名称はペルシア語で「ソロモンの玉座」を意味する。

歴代王

  1. ディオドトス1世(紀元前250年頃 – 紀元前240年頃)
  2. ディオドトス2世(紀元前240年頃 – 紀元前230年頃)…ディオドトス1世の子。
  3. エウテュデモス1世(紀元前230年頃 – 紀元前200年頃)…ディオドトス朝から王位簒奪
  4. デメトリオス1世(バクトリア王)(紀元前200年頃 – 紀元前180年頃)…エウテュデモス1世の子。北西インド進出、タクシラ占領
    • エウテュデモス2世(紀元前180年代)…デメトリオス1世の子
  5. アンティマコス1世(紀元前185年頃 – 紀元前171年)…デメトリオス1世の弟
  6. エウクラティデス1世(紀元前171年 – 紀元前145年頃)…エウテュデモス朝から王位簒奪
  7. プラトン(紀元前145年頃)…エウクラティデス1世の子?
    • エウクラティデス2世(紀元前145年頃 – 紀元前140年頃)…エウクラティデス1世の子
  8. ヘリオクレス1世(紀元前145年頃 – 紀元前130年頃)…エウクラティデス1世の子、プラトンの弟?
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