パルティア (アルサケス朝, 安息) (紀元前247年頃〜224年) カスピ海南東部、イラン高原東北部に興った王国・遊牧国家である。紀元前247年頃パルニ氏族を中心とした遊牧民の長、アルサケス1世が建国し、ミトラダテス2世の治世で最盛期を迎えた。6度に渡りローマからの侵攻を受け(パルティア戦争)、224年ペルシア(ササン朝)の侵攻により滅亡した。
目次
パルティア

オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
ザグロス山脈の東方、アフガニスタンにいたる広大な地域は、イラン系民族の居住地であった。この地域の大部分は高原性台地であるが、砂漠もあれば、農耕を可能にする降雨や水流がえられる地方もあった。このような自然条件に対応して、住民は地域により農耕か遊牧で生計を立ててきた。アケメネス朝(紀元前550〜紀元前330)のもとでは属州に編成されて発展したが、紀元前4世紀後半にアレクサンドロス3世に征服され、その死後はセレウコス朝(紀元前312年〜紀元前63年)の支配下におかれた。セレウコス朝は当初バクトリアからアナトリアやシリアまでを領域とし、都市化政策を推進した。イラン地方にも都市建設をおこない、多数のギリシア人を入植させた。しかしやがてセレウコス朝の支配が低下するのにともない、各地の有力家系が王朝をきずいて独立した。中国ではこのパルティア王国を、建国の祖アルサケスの名にちなんで「安息」と呼んだ。
パルティアの文化
パルティアの文化は早くよりヘレニズムの影響を強くうけ、王が「ギリシア人を愛するもの(フィルヘレン)」という称号をおびるほどであった。 ギリシア語が公用語とされ、貨幣の銘文にもギリシア文字が用いられた。しかし征服者であり支配者である遊牧パルティア人と先住農耕民との融合が進むに連れて、文化にもしだいにイラン敵要素が強くなり王朝後期にはパフレヴィー語(中世ペルシア語)がアラム文字で表現されて公用語化した。 宗教的にも徐々にイラン色が濃くなり、ゾロアスター教が信奉されるようになったが、ミトラダテスと名乗るパルティア王がいたことからみて、ミトラ神への信仰も強かったと思われる。バビロニア地方ではセム系とイラン系の宗教混合も進んだ。 パルティアとササン朝の文化 – 世界の歴史まっぷ内陸アジアの変遷

参考
詳説世界史研究歴史
成立
アルサケス1世
- 在位:紀元前247年頃 – 紀元前211年頃
- 紀元前3世紀、セレウコス朝の支配力が衰える。
- 紀元前256年にバクトリア地方を治めていたセレウコス朝のサトラップ・ディオドトス1世が反乱を起こし独立してバクトラ王国を建国。同時に、パルティア地方を治めていたセレウコス朝のサトラップ・アンドラゴラスが独立を宣言。
- 紀元前247年頃、パルニ氏族を中心とした遊牧民勢力が、アルサケス1世と弟のティリダテス1世を指導者としてアンドラゴラスの勢力を放逐してパルティア王国(アルサケス朝)を建国。
- 紀元前228年頃、バクトリアのディオドトス2世と同盟を結び東方を固める。
- セレウコス朝シリアのセレウコス2世の遠征に遭い、アルサケス1世はサカに避難する。
- 紀元前226年、セレウコス2世が没するとアルサケス1世は首都・ヘカトンピュロスに帰還し、国固めを行う。
アルサケス2世
- 在位:前211年頃 – 前191年
- メディアのエクバタナを占領するも、セレウコス朝のアンティオコス3世の東方遠征によってにエクバタナを奪還される。アナーヒター神殿の財宝を奪われ、最終的には本拠地のヘカトンピュロスにまで進軍されたため、セレウコス朝の優位を認め「同盟者」となる。
フリアパティウス
- 在位:前191年 – 前176年
- 紀元前189年、セレウコス朝のアンティオコス3世がローマとの戦いに敗れたため、直後に再びセレウコス朝の勢力下から離脱する。
拡大
ミトラダテス1世
- 在位:前171年 – 前138年
- エウクラティデス1世王が率いるバクトリア王国に東征して2州を奪う。西方では長期に渡る戦いの末、紀元前148年または紀元前147年にはメディア地方を支配下に置く。
- セレウコス朝の中核地帯であるバビロニアへの拡大が視野に入る。セレウコス朝の内乱も手伝ってバビロニア方面への侵攻は大成功に終わり、前141年までにはバビロニアの中心都市セレウキアを陥落させ、翌年にはスシアナ(Susiana、現フーゼスターン州)の中心都市スサも陥落、エリマイス王国もその影響下に置いた。
- しかし、このミトラダテス1世の征服活動の結果、パルティアの支配地域には多数の異民族集団が内包されることになった。ミトラダテス1世以降のパルティア王達は異民族の統治に非常に気を使ったが、パルティアの支配を忌避し反パルティアの政治傾向を長く持ち続ける集団も存在した。 ミトラダテス1世は北西インドのサカ人が本拠地のヒュルカニアに侵入したと言う報せを受けて、ヒュルカニアへ出向いた。その間にセレウコス朝のデメトリオス2世はエリマイス、ペルシス(ペルシア湾北岸)、バクトリアと協力し、バビロニアで挙兵した。 しかし、王の留守を預かったパルティアの将軍たちはこの軍を打ち破ってデメトリオス2世を捕虜とした。この時セレウコス朝に味方をしたエリマイスの都市アルテミスには制裁として略奪が行われた。 ミトラダテス1世はその後インド北西部を征服し、王はバシレオス・メガロス(大王)を名乗った。
フラーテス2世
- 在位:前138年 – 前128年
- 捕虜であったセレウコス朝のデメトリオス2世の弟であるアンティオコス7世が、失地奪還のために兵を起した。デメトリオス2世の侵入時と同じく、パルティア領内の旧支配層はセレウコス朝の「マケドニア人王」の到来を歓迎し、この軍に参入していった。 こうしてまずメディア地方が、紀元前130年にはバビロニア一帯が占領された。 このとき和平交渉により、フラーテス2世はデメトリオス2世を返還した。アンティオコス7世は更に東方へと向かったが、現地住民に圧力をかけ不評だったため、住民は重圧に抵抗する態度を見せ始めた。
- パルティア側は市民蜂起の工作を行い、蜂起軍にパルティア軍を参加させ、蜂起を盛り上げた。前129年にアンティオコス7世は反乱鎮圧中に戦没した。アンティオコス7世の子は捕虜となり、パルティアで丁重に扱われた。また、同年アラブ人ヒスパネシオスによってメソポタミア南部にカラケネ王国が建てられ、一時バビロンとセレウキアを奪われた。フラーテス2世は勢いに乗じて、シリア侵攻を計画したが、傭兵として雇っていたサカ人やバビロニアのギリシア人捕虜が反乱を起こし、紀元前128年、フラーテス2世は戦死した。
ミトラダテス2世
- 在位:前123年頃 – 前87年頃
- セレウコス朝を攻めてメソポタミア北部を制圧。さらにカラケネ王国および小アジアのアルメニア王国を服属させた。 都をクテシフォンに移し、この時代には再びメソポタミアからインダス川までを支配する大国となり、ミトラダテス2世はイラン地方の覇者の称号である「バシレウス・バシレイオン」(諸王の王)を名乗るようになった。 紀元前92年にはローマと会談し、初めての接触を持っている。この時代がパルティアの最盛期と評される。
パルティア戦争
古代ローマとアルサケス朝パルティアとの間で戦われた戦争を指す。8度に渡って干戈を交えた。- 第一次パルティア戦争 : 紀元前53年、マルクス・リキニウス・クラッススによる遠征。カルラエの戦いでパルティアが勝利を収めた。
- 第二次パルティア戦争 : 紀元前39年、マルクス・アントニウスによる遠征。
- 第三次パルティア戦争 : 紀元2年、アルメニア領有を巡りアルタバヌス2世が仕掛けた戦争。
- 第四次パルティア戦争 : 58年から63年頃まで。ローマはグナエウス・ドミティウス・コルブロが指揮。
- 第五次パルティア戦争 : 113年からのトラヤヌス帝による親征で、ローマ軍はクテシフォンを陥落させた。
- 第六次パルティア戦争 : 161年、ヴォロガセス4世によるローマ属州シリアへの侵攻。
- 第七次パルティア戦争 : 194年から198年までのセプティミウス・セヴェルス帝とヴォロガセス5世との戦い。
- 第八次パルティア戦争 : 217年、カラカラ帝率いるローマ軍をアルタバヌス4世が撃退した戦い。
224年 滅亡
- 国内の混乱はますます激しさを増し、全土に反乱が多発する。220年、それに乗じたペルシア王アルダシール1世の侵攻を受け、メソポタミア諸都市も多数離反し、ヴェロガセス6世は陣中で死去し、アルタバヌス4世も224年にアルダシール1世に敗れて殺された。 この時点で事実上パルティアは滅びた。
- その後、アルタバヌスの子・アルタバスデスが抵抗を続けたが、クテシフォンで処刑。パルティアは完全に滅亡した。
- パルティアを滅ぼしたアルダシール1世はパルティアの後継者を名乗り、「バシレウス・バシレイオン」(諸王の王)を称してクテシフォンを首都としてササン朝を設立した。
パルティアの文化
パルティアの文化は早くよりヘレニズムの影響を強くうけ、王が「ギリシア人を愛するもの(フィルヘレン)」という称号をおびるほどであった。 ギリシア語が公用語とされ、貨幣の銘文にもギリシア文字が用いられた。しかし征服者であり支配者である遊牧パルティア人と先住農耕民との融合が進むに連れて、文化にもしだいにイラン敵要素が強くなり王朝後期にはパフレヴィー語(中世ペルシア語)がアラム文字で表現されて公用語化した。 宗教的にも徐々にイラン色が濃くなり、ゾロアスター教が信奉されるようになったが、ミトラダテスと名乗るパルティア王がいたことからみて、ミトラ神への信仰も強かったと思われる。バビロニア地方ではセム系とイラン系の宗教混合も進んだ。