ブロック経済 恐慌からの脱出
世界恐慌の波及とブロック経済 ©世界の歴史まっぷ

ブロック経済


ブロック経済 bloc economy

本国と海外植民地・自治領などが、排他的な経済圏を形成すること。他国製品には高率の関税をかけるなどの保護貿易政策をとる。イギリスがスターリング=ブロックを形成したのが始まり。仏・米・独・日などもこれにならう。自由貿易を破壊し、ブロック間摩擦をうみ、第二次世界大戦の遠因となった。

ブロック経済

ブロック経済 恐慌からの脱出
世界恐慌の波及とブロック経済 ©世界の歴史まっぷ
  • 本国と海外植民地・自治領などが、排他的な経済圏を形成すること。イギリス連邦がオタワ協定でスターリング=ブロックを形成したのが始まり。フランス・アメリカ・ドイツ・日本などもこれに対抗しようとした。ブロック経済は自由貿易を破壊し、ブロック間に摩擦をうみ、第二次世界大戦の遠因となった。
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  • 本国と植民地が相互に特恵とっけいを与え、他国製品には高率の関税をかけるなどの保護貿易政策をとり、商品の市場を確保し合う排他的経済圏をいう。1932年、イギリスがオワタで英帝国経済会議を開き、イギリス本国と植民地間のポンドでの決済に特恵関税を設定。米・仏もこれにならう。
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二つの世界大戦

第一次世界大戦とロシア革命

第一次世界大戦の勃発

しかし1929年、ニューヨークのウォール街における株の大暴落を端緒とする世界経済恐慌資本主義諸国を直撃し、国際的協調体制を崩壊させた。アメリカは広大な国土を背景にニューディール政策を進め、英・仏はブロック経済体制をとってこの危機を乗り越えようとした。それに対して独・伊・日などの後進資本主義諸国は大衆を組織しつつ、統制色の強い全体主義体制を樹立し、植民地の再編成を軍事力をもって解決しようとした。このためヨーロッパでは反ファシズムの抵抗運動が展開され、アジア諸国では独立と解放のための戦いがおこって、世界は再び緊張の渦に巻きこまれ、ついに1939年から第二次世界大戦に突入した。

二つの世界大戦とアジア

軍部の台頭

恐慌からの脱出

世界恐慌への対応策として、アメリカは1933(昭和8)年以来、フランクリン=ローズヴェルト( Franklin Roosevelt, 1882〜1945)大統領のもとで、政府資金を投入して農業を保護し、大規模な公共事業をおこすなど、いわゆるニューディール政策を実施して経済危機を乗り切った。また、イギリスは1930年代初めから、本国と属領との結びつきを強めてブロック経済圏を強化した。そして、日本商品の進出を国際価格を無視したソーシャル=ダンピングと非難して、それをおさえるために、輸入品に対して割当制をとり、高率の関税をかけるなど、自国の産業を保護した。

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