ヘブライ人 Hebrews
ユダヤ教を成立させたセム語系民族。「旧約聖書」では、族長アブラハムに率いられ、ウルを出てパレスチナに定着したと書かれている。
ヘブライ人

ユダヤ教を成立させたセム語系民族。「旧約聖書」では、族長アブラハムに率いられ、ウルを出てパレスチナに定着したと書かれている。その後一部はエジプトへ移住したが、前13世期モーセに率いられパレスチナへ戻った。前1000年頃イスラエル王国を建てたが、前992年王国は分裂、その後ローマの属州となり、厳しい弾圧を受けた。
参考 世界史用語集
起源

ペリシテ人:パレスチナという地名は彼らの名に由来する。ヘブライ人は彼らから製鉄技術を学んだ。
建国
第2代目の王ダヴィデは、ペリシテ人を破ってパレスチナ全土を掌握し、エルサレムを首都とする統一王国の基礎を固めた。その息子ソロモンの時代が最盛期で、フェニキアのティルスの王と手を結んで、海外との貿易を積極的におこなった。だがその反面、神殿や宮殿を造影するための大土木工事や、常備軍を維持するために課された重税で、国民は疲弊した。そして王の死後、王国は北のイスラエルと南のユダの2王国に分裂していよいよ弱体化し、周辺の強国の間で苦しんだ。このころ何人かの預言者が現れて、苦難の原因は人々の堕落と社会悪にあると説き、神への正しい信仰をとりもどして民族が結束するよう求めたが、その甲斐もなく、イスラエルは紀元前722年にアッシリアのサルゴン2世に、またユダは紀元前586年に新バビロニアのネブカドネザル2世に征服されて、いずれの場合も住民の多くが強制居住させられた。とくに後者によるバビロニアへの連行は、「バビロンの捕囚」として長く後世に記憶されることになる。紀元前538年にアケメネス朝のキュロス2世がバビロニアを占領したとき、ユダヤ人は帰国を許されたが、彼らはその後も長い間、異民族の支配のもとで辛酸をなめねばならなかった。
宗教
ヘブライ人は、古代オリエントで一神教を信じた唯一の民族といえるが、彼らがヤハウェを唯一最高の神として認め、これと契約関係に入ったのは、出エジプト後パレスチナに入るまでの苦難の中においてであった。王国時代には周辺民族の多神教の影響をうけて、預言者たちに厳しく批判されたが、亡国とバビロン捕囚という民族的苦境のなかで、かえってヤハウェへの信仰は強まり、やがて神と契約しているユダヤ人だけが救済されるという排他的な選民思想や、この救済を実現する救世主(メシア)の到来を待望する信仰が生まれた。『旧約聖書』の編纂が始まったのもこのころからである。ユダヤ人は捕囚から開放されて帰国すると、エルサレムにヤハウェの神殿を再建し、儀式や祭祀の規則を定めてユダヤ教を確立した。そこで説かれた最後の晩餐や、天使・悪魔の思想にはペルシアのゾロアスター教の影響が指摘される。のちにユダヤ教が、信仰や日常生活の規則である法律を極端に重んじるようになると、イエスが現れて、形式化した信仰に新しい生命を吹き込むとともに、救済をユダヤ人に限らず全人類に及ぼす道を開いた。なお、ヘブライ人が書き残した神話・伝承・預言者の言葉、神への讃歌などをまとめたユダヤ教の経典は『旧約聖書』として、イエスの教えや弟子たちの行伝・手紙などをまとめた『新約聖書』とならんでキリスト教の経典となり、のちにヨーロッパ文化の基調のひとつ(ヘブライズム)を形成することになる。またイスラーム教でも、前者は経典と認められている。ちなみに「旧約」とは「神との古い契約」の意味で、「神との新しい契約」としてのキリスト教に対照させて、パウロがこう呼んだのに由来している(『新約聖書』の「コリント人への第2の手紙」第3章にこれらの言葉がある)。イスラエル王国とユダ王国
ダビデがユダ族出身であったため、イスラエル王国ではこの支族がもっとも勢力をもった。これに反感を抱く他の支族が結束して樹立したのが北イスラエル王国で、首都のサマリアにちなんで「サマリア王国」と呼ばれることもある。 ユダ王国は、エルサレムを首都にユダ族が中心となって形成した王国で、ダビデ王家がひきつづき君臨した。 アッシリアは多くのイスラエル人を北シリアやアッシリア本国へ強制移住させたあとに、よその住民をイスラエルに移した。新移住者は残っていたヘブライ人とやがて混血し、本来のヘブライ人とは異質の宗教・文化をもつサマリア人と呼ばれる民族になった。それに対しユダ族を中心とする人々は、バビロン捕囚中も帰国後も、民族的伝統を失わなかった。ここからその後のヘブライ人を「ユダヤ人」、宗教を「ユダヤ教」と呼ぶ習わしがおこった。年表
- 紀元前2000年紀前半
- パレスチナ地方に移動。一部はヒクソスとともにエジプトに入る。
- 紀元前13世紀
- モーセに率いられてエジプトを脱出(出エジプト)、苦難の末にパレスチナの同胞と合流。 12支族の緩やかな連合体を形成して遊牧民的気風を保持し、王のような恒常的な支配者をいただくことは嫌った。
- 紀元前11世紀
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周辺の諸民族、ことに海岸平野に定着した「海の民」の一派のペリシテ人との抗争が激化すると、強力な統率者を待望する気運が高まり、紀元前11世紀末に王政に以降した。紀元前10世紀前後のオリエント地図 ©世界の歴史まっぷ 紀元前1021年イスラエル統一王国の成立
- イスラム王国初代王 サウル(ベニヤミン族) 部族長を中心とする寡頭制政治
- ダビデ王(ユダ族) ペリシテ人を破ってパレスチナ全土を掌握し、エルサレムに王都を定め、12部族を統一、君主制時を支柱に置き、イスラエル王国の礎を築いた。
- ソロモン王 父ダビデの築いた王国の維持・拡大に力を注ぎ、特にエジプトの属国として良好な関係を築き、官僚制度を確立してエルサレム神殿を建立した。 イスラエル王国の最盛期を迎え、フェニキアのティルスの王と手を結んで、海外との貿易を積極的におこなった。だがその反面、神殿や宮殿を造営するための大土木工事や常備軍を維持するために課せられた重税で、国民は疲弊した。
- 紀元前10世紀
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紀元前922年南北に分裂
ソロモンの大規模土木工事によって生じる重税と賦役、政治腐敗などから君主政治と部族分離主義者との対立により分裂。60年間南北で戦いが繰り返される。- 北イスラエル王国 主な首都: サマリア 民族: ルベン族・シメオン族・ダン族・ナフタリ族・ガド族・アシェル族・イッサカル族・ゼブルン族・エフライム族・マナセ族 偶像礼拝 道徳腐敗
- ユダ王国 首都: エルサレム ユダ族・ベニヤミン族
- 紀元前8世紀ー紀元前6世紀
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滅亡
- 北イスラエル王国 王権簒奪による情勢不安の中、紀元前722年、アッシリアのサルゴン2世に征服され、住民の多くが強制移住させられた。 イスラエルの失われた10支族
- ユダ王国 紀元前586年、新バビロニアのネブカドネザル2世に征服され、エルサレム全体とエルサレム神殿が破壊され、住民の多くが強制移住させられる。バビロニアへの連行は「バビロンの捕囚(紀元前538年、アケメネス朝のキュロス2世がバビロニアを占領し、ユダヤ人は帰国を許されたが、その後も長い間、異民族の支配のもとで辛酸をなめねばならなかった。)」として長く後世に記憶される。
セム語系3民族
- アラム人 内陸交易で繁栄 アジア各地にアラム文字の影響を与える
- フェニキア人 海上交易で繁栄 ローマ字にフェニキア文字の影響を与える
- ヘブライ人 一神教である「ユダヤ教」の成立。旧約聖書を聖典とする
参考