レオン3世 ( A.D.680〜A.D.741)
東ローマ帝国イサウリア朝初代皇帝(在位717年 - 741年)。軍人出身で、勇猛さゆえにつけられたあだ名「レオン(獅子)」をそのまま即位名とした。イスラーム勢力に陸と海から帝都コンスタンティノープルを包囲されるが撃退。726年聖像禁止令を発布し聖像崇拝を厳禁する宗教政策(イコノクラスム)をとって聖像崇拝派の修道院を弾圧し、ローマ教皇との関係を悪化させた。
レオン3世
軍人として出世してイサウリア朝を創始
軍人出身で、勇猛さゆえにつけられたあだ名「レオン(獅子)」をそのまま即位名とした。ウマイヤ軍に陸と海から帝都コンスタンティノープル(現イスタンブル)を包囲されるが、難攻不落の大城壁に加え、生石灰・松ヤニ・精製油・硫黄などからなる「ギリシアの火」と呼ばれる秘密兵器で反撃。さらに、ブルガリアからの援軍の到来もあって、1年にも及ぶ抵抗の末、これをついに撃退した。民政では、「エクロゲー法典」を発布して特別な場合を除いて離婚を禁止したほか、宗教面では、聖像禁止令を出して、小アジアなど帝国の主要地域で、徹底的なイコン(聖画像)の破壊をおこなった。
カッパドキア
カッパドキアとは小アジアのほぼ中心部に位置する、火山の噴火とそのあとの浸食作用によてできた奇岩地帯のことをいう。自然環境の厳しいこの地に、4世紀以降多くの修道士が住むようになった。一帯は柔らかい凝灰岩でできていることから、石器程度の簡単な道具でも掘るのが容易で、彼らはここに多くの洞窟をつくり、なかの壁を聖画で満たした。しかし、打ち続く乱戦や726年にビザンツ皇帝レオン3世によって始められた聖像破壊運動のため、当時の聖画はすべて失われてしまった。現存する壁画は大半が抽象画で、9〜11世紀に描かれたものと考えられる。
カッパドキアには、「妖精の煙突」と呼ばれる奇岩が林立する。世界遺産「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群」
ヨーロッパ世界の形成と発展
東ヨーロッパ世界の成立
中期ビザンツ帝国
それは修道院の所領を中心に進展しつつあった大土地所有を抑えるための戦いでもあったが、結果的には国内の混乱をひきおこし、ローマ教皇との関係も悪化させた。
西ヨーロッパの成立
ローマ・カトリック教会の成長
聖像崇拝論争
東西両教会の対立を深めたもうひとつの要因に、聖像崇拝論争がある。元来キリスト教は偶像崇拝を禁止していたが、異教徒への布教の必要から、ローマ教会は聖像(キリストや聖者の画像・彫像)の使用を容認した。しかし、東ローマ帝国では小アジア地方を中心に聖像禁止派の勢力が強く、また皇帝専制の障害となる修道院勢力が聖像崇拝派であったことなどから、726年、東ローマ帝国イサウリア朝初代皇帝レオン3世(717〜741)は聖像禁止令を発布した。その結果、ローマ教会は東ローマ帝国にかわる政治勢力を新たに求めるようになった。
参考 詳説世界史研究