ワッハーブ王国 (1744頃〜1818、23〜89)
サウード家がワッハーブ派と協力して建てた国。オスマン帝国からの分離をはかり、メッカ・メディナを占領してアラビア半島を支配下に入れた。1818年にムハンマド=アリーに敗れたがまもなく復活、19世紀末まで存続した。20世紀初頭に再興され、1932年に国名をサウジアラビア王国とした。
ワッハーブ王国
サウード家がワッハーブ派と協力して建てた国。オスマン帝国からの分離をはかり、メッカ・メディナを占領してアラビア半島を支配下に入れた。1818年にムハンマド=アリーに敗れたがまもなく復活、19世紀末まで存続した。20世紀初頭に再興され、1932年に国名をサウジアラビア王国とした。
アジア諸地域の動揺
オスマン帝国支配の動揺とアラブのめざめ
ムハンマド=アリー朝
対外政策の面では、新編制の軍を用いて海外派兵をくりかえした。1811年には、オスマン帝国スルタンの命をうけ、アラビア半島の聖地メッカを押さえるワッハーブ王国の討伐のため長子イブラーヒームを派遣し、首都ダルイーヤを陥落させた(1818)。続いて1818〜20年にはスーダンを征服し、奴隷交易をはじめ諸権益を独占し、エジプト近代化のための財源とした。