三浦梧楼
A.D.1847〜A.D.1926
三国干渉以後、朝鮮皇帝高宗の妃である閔妃が親露反日政策へ転換していったため、駐朝公使の三浦梧楼は公使館守備隊を指揮して閔妃を殺害した。
三浦梧楼
朝鮮皇帝高宗の妃である閔妃が親露反日政策へ転換していったため、駐朝公使の三浦梧楼は公使館守備隊を指揮して閔妃を殺害した。
近代国家の成立
日露戦争と国際関係
列強の中国分割
日本にとって、とくに脅威だったのはロシアの動きであった。日本は日清戦争によって「朝鮮の独立」を清国に認めさせ、”利益線”たる朝鮮から清国の勢力を排除することに成功したが、三国干渉による日本の威信低下に乗じて、ロシアが朝鮮に勢力を伸ばし、1895(明治28)年7月、親露派政権がつくられた。同年10月、日本公使三浦梧楼(1846〜1926)や日本の軍人・壮士らが中心となり、大院君を擁立してクーデタを強行し、閔妃政権を打倒して親日派政権を樹立させた(閔妃殺害事件)。しかし、翌年2月、三たび政変がおこって朝鮮国王はロシア公使館に移り(露館播遷)、ロシアを後ろ盾とした政権が発足し、多くの親日派要人が処刑された。その後、日露両国は山県・ロバノフ協定、西·口ーゼン協定などを結んで朝鮮(韓国) ❶ における利害の調整をはかったが、韓国を勢力下に収めようとする日本の政策は達成されず、韓国問題をめぐる日露の対立はしだいに深まった。
❶ 朝鮮は1897(明治30)年、国号を大韓帝国と改めた。
日朝関係年表
1894 (明治27年) | 3 | 甲午農民戦争(東学党の乱) | |
8 | 日清戦争勃発 | ||
1895 | 4 | 下関条約(清は朝鮮の独立を許可) | |
10 | 閔妃殺害事件(公使館守備隊による閔妃殺害) | ||
1897 | 10 | 朝鮮、国号を大韓帝国(韓国)と改称 | |
第1次桂内閣 | 1904 | 2 | 日露戦争勃発(〜05) 日韓議定書調印(日本は事実上必要な土地の収用など、便宜供与を約する) |
8 | 第1次日韓協約調印(日本政府推薦の財政・外交顧問の設置) | ||
1905 | 7 | 桂・タフト協定(米が日本の韓国保護国化を承認) | |
8 | 第2次日英同盟協約(英が日本の韓国保護国化を承認) | ||
9 | ポーツマス条約(露が韓国に対する日本の指導・保護・監理を承認) | ||
11 | 第2次日韓協約(日本が外交権を掌握して韓国を保護国化) | ||
12 | 漢城に統監府を設置 | ||
1906 | 2 | 統監府開庁(初代統監:伊藤博文) | |
第1次西園寺内閣 | 8 | 義兵運動が本格化 | |
1907 | 7 | ハーグ密使事件(韓国皇帝高宗の退位、純宗の即位) 第3次日韓協約(内政権を接収し韓国軍隊を解散) |
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8 | 義兵運動が本格化 | ||
第2次桂内閣 | 1908 | 12 | 東洋拓殖会社(東拓)設立 |
1909 | 7 | 韓国併合を閣議決定 | |
10 | 伊藤博文暗殺事件(安重根がハルビン駅頭で殺害) | ||
1910 | 8 | 韓国併合(韓国併合条約調印)。大韓帝国(韓国)を朝鮮と改称 | |
9 | 土地調査事業の開始(〜18) | ||
10 | 朝鮮総督府の設置(初代朝鮮総督:寺内正毅) | ||
1911 | 4 | 土地収用例制定。 | |
8 | 朝鮮教育令(同化教育の推進)公布 | ||
1919 | 3 | 三・一独立運動(パゴダ公園で独立宣言) | |
1923 | 9 | 関東大震災(関東全域で「朝鮮人狩り」) | |
1925 | 4 | 治安維持法を朝鮮・台湾・樺太に公布、5月施行・朝鮮神宮の創建 |
三浦梧楼が登場する作品
ドラマ「明成皇后」
ドラマ「明成皇后」登場人物相関図
楽天TVでも観ることができます。 明成皇后