堀田正俊


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堀田正俊 ほったまさとし( A.D.1634〜A.D.1684)

江戸時代初期の下総古河藩主。江戸幕府の大老。3代将軍家光の命によって春日局の養子となる。1651(慶安4)年に父が家光に殉じたため、その遺領のうち1万石を与えられ、備中守となった。1679(延宝7)年老中となり、4代将軍徳川家綱が死んだ際、家光の子綱吉を擁して大老酒井忠清らと対立。綱吉が5代将軍となってからはその片腕として幕政を主導。1681(天和1)年1大老。その治政を「天和の治」という。1684(貞享1)年稲葉正休に刺殺された。

堀田正俊

江戸時代初期の下総古河藩主。江戸幕府の大老。正盛の3男。正信の弟。母は酒井讃岐守忠勝の娘。幼名、小太郎。寛永12(1635)年3代将軍徳川家光の命によって春日局(かすがのつぼね)の養子となった。慶安4(51)年4月に父が家光に殉じたため、その遺領のうち1万石を与えられ、備中守となった。延宝7(79)年老中となり、同8年4代将軍徳川家綱が死んだ際、家光の子綱吉を擁して大老酒井忠清らと対立。綱吉が5代将軍となってからはその片腕として幕政を主導。天和1(81)年12月大老。その治政を天和(てんな)の治という。貞享1(84)年稲葉正休に刺殺された。

参考 ブリタニカ国際大百科事典

将軍の権威の確立に尽力した大老

3代将軍家光の腹心で老中の堀田正盛の3男。家光の命で、春日局の養子になり、徳川家綱の小姓となった。綱吉擁立の功により出世を重ね、大老として将軍綱吉を補佐した。譜代層に対する処罰と天領行政の刷新を特色とした「天和の治」の改革や幕府財政収入の増大に努めた。

幕藩体制の展開

幕政の安定

元禄時代

国内外の平和と安定を背景に、17世紀後半には5代将軍綱吉(1646〜1709)政権が成立した。前代からの大老酒井忠清(1624〜81)を排して、館林藩主綱吉の将軍擁立に功のあった堀田正俊(1634〜84)を大老に据えた綱吉は、まず農政を重視した。幕府財政の基礎の一つである幕領の百姓と農村の健全な管理を代官に強く命じ、これにしたがわない在地に根ざした代官を大量に処分した。

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