大久保利通
大久保利通(国立国会図書館蔵/画像出典: 近代日本人の肖像

大久保利通


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大久保利通 おおくぼとしみち( A.D.1830〜A.D.1878)

薩摩藩士。薩長連合・王政復古に活躍。廃藩置県を建議。岩倉使節団に参加。帰国後、征韓論に反対し、参議兼内務卿として殖産興業に尽力。藩閥政府の中心として権力をふるったが、東京紀尾井坂で暗殺された。

大久保利通

薩摩藩士。薩長連合・王政復古に活躍。廃藩置県を建議。岩倉使節団に参加。帰国後、征韓論に反対し、参議兼内務卿として殖産興業に尽力。藩閥政府の中心として権力をふるったが、東京紀尾井坂で暗殺された。

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近代国家の成立

開国と幕末の動乱

公武合体と尊攘運動

このころ、対日外交に指導的役割を果たしていたイギリスは、公使パ一クス( Parkes, 1828〜85 )がしだいに幕府の国内を統治する力が弱体化したことを見抜き、対日貿易の自由な発展のためにも、幕府にかわる政権の実現に期待するようになった。薩摩藩でも、薩英戦争で攘夷が不可能であることを知ってイギリスに近づき、西郷隆盛(1827〜77)・大久保利通(1830〜78)ら下級武士が藩政を指導し、武器の輸入・留学生の派遣・洋式エ場の建設など改革を進めていった。

幕府の滅亡

新政府は、幕府はもちろん朝廷の摂政・関白も廃止し、天皇のもとに総裁議定ぎじょう参与さんよの三職を設置した。ここに260年余り続いた江戸幕府は否定され、「諸事神武創業の始」に基づくことをかかげた、天皇を中心とする新政府が樹立された。総裁には有栖川宮熾仁ありすがわのみやたるひと親王、議定には皇族・公卿と松平慶永山内豊信らの諸侯10名、参与には公家からは岩倉具視雄藩の代表として薩摩藩からは西郷隆盛・大久保利通、土佐藩からは後藤象二郎、福岡孝弟ふくおかたかちか(1835〜1919)、ついで長州藩から木戸孝允広沢真臣ひろさわさねおみ(1833〜71)らが任じられ、雄藩連合のかたちをとった。

その日の夜、京都御所の小御所こごしょで三職による小御所会議こごしょかいぎが開かれて徳川氏の処分が議論され、岩倉具視・大久保利通らの武力倒幕派が、松平慶永・山内豊信らの公議政体派を圧倒し、徳川慶喜に内大臣の辞退と領地の一部返上(辞官納地じかんのうち)を命じることを決定した。このため、慶喜は大坂城に引きあげ、新政府と対決することになった。

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アジア諸地域の動揺

東アジアの激動

明治維新

1874年には清国領台湾に漂着した琉球島民が現地人に殺害された事件を契機に台湾出兵 をおこなうなど、おりからの朝鮮半島をめぐる動きとあわせて、しだいに領土拡大と大陸進出をめざす野心を明らかにしていった。西洋列強の進出と、日本の国力の発展によって、従来の清朝を中心とする東アジアの国際関係は大きく変化した。1861年、清朝は特別に外交関係の事務を取り扱う総理各国事務衙門を設置したが、これは新しい国際情勢に対応することを目的としたものである。

「台湾先住民は清朝政府の支配下にあるか」などが問題となったが、事件後、大久保利通が全権となって清と交渉し、イギリス公使ウェードの調停もあって、清から補償金50万両テールが支払われることで日本軍は撤兵し、事件は一応の解決をみた。
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