安史の乱
明皇幸蜀図-台北故宮博物院蔵の青緑山水画。画題は玄宗皇帝が安禄山の乱を避けて長安から蜀へ向かう様子を表したもの。現存する作品は北宋以降の模本で、明末の擬古作とする研究者もいる。©Public Domain
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安史の乱 (A.D.755〜A.D.763) 安史の乱あんしのらんとは、唐(王朝)のソグド系の蕃将ばんしょうで北辺の3節度使を兼任していた寵臣安禄山が、楊貴妃一族の宰相楊国忠と対立し、楊国忠打倒を掲げて挙兵した反乱。安禄山の死後、子の安慶緒あんけいちょ、部将史思明ししめい父子によって継続されたため、安史の乱と称され、約9年におよぶ大乱となった。ウイグルの援助などにより鎮圧されたが、唐繁栄を一挙にくつがえし、唐の政治・経済・社会の各方面に重大な変化をもたらした。

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