支石墓
支石墓 (長崎里田原遺跡 縄文時代晩期/紀元前500年頃)

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支石墓 弥生時代
支石墓しせきぼは、大型の平たい石を数個の支石で支え、その下に土壙墓(墓穴)や箱式石棺墓甕棺墓などの埋葬施設がある。支石墓は朝鮮半島に広く分布し、日本では弥生前期・中期の北部九州に多い。

支石墓

弥生時代 墳墓と埋葬

墓名写真説明縄文時代弥生時代古墳時代
土壙墓土壙墓土を掘って棺を使用せずに遺体を埋める墓のことで、古今を通じて普遍的な埋葬方法。
弥生時代にも全期をとおして日本中に見られた。
弥生時代には手足を伸ばして葬る伸展葬が主流で、集落近くの共同墓地に埋葬された。
甕棺墓甕棺墓北部九州では成人に特製の大型甕棺を使用。
盛り土はほとんどなく、甕棺は斜めに置かれ、屈葬が多い。
副葬も見られる。楽浪郡に使者を送った王の墓とみられる甕棺には
青銅鏡・ガラス・璧など漢からの贈り物が副葬されている。
支石墓支石墓大型の平たい石を数個の支石で支え、その下に土壙墓(墓穴)や
箱式石棺墓、甕棺墓などの埋葬施設がある。
支石墓は朝鮮半島に広く分布し、日本では弥生前期・中期の北部九州に多い。
箱式石棺墓箱式石棺墓板状または塊状の石で四方を囲み、遺体を入れる大きな箱形の空間を作り、
上を同様の石で覆ったもので、西日本に多い。
方形周溝墓方形周溝墓弥生時代前期から古墳時代まで続く墳丘墓
約10m四方で、周囲を1〜2mの溝で囲む。盛り土された中央部に土壙(墓穴)を掘って埋葬した。
墳丘墓墳丘墓弥生時代の墳丘をもつ墓を、古墳と区別して墳丘墓と呼ぶ。
弥生時代中期後葉から後期前半: 墳丘規模に格差が広がり、墳長20メートル以上の大型墓が出現する。
四隅突出型墳丘墓四隅突出型墳丘墓斜面や裾の部分に石を並べ、四隅が突出した形の墳丘墓。
島根・鳥取・広島などを中心に分布。墳丘斜面に貼石がある。
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